歌手・平川美香は夢追って…東京出てきたのが不幸の始まり
■散歩中に見つけた草を天ぷらに
そこからが貧乏の始まり。寮付きのパチンコ屋さんに勤めたけど、お金がないから散歩中に草を見つけた時、むしって調理して食べようと考えた。除草剤が怖いので、区役所に電話して「××のあたり除草剤、まいてますか」と尋ねてみたら「どうかしましたか」と聞き返されて「拾って食べようと思って」と答えると「やめてください」と叱られました。
そう言われてもちゃんと洗って「これはスーパーで買った野菜だ」と思い込み、天ぷらにして食べちゃいました(笑い)。
服も買えないので自分で作って。裁縫をやるので布から作った。友だちが引っ越しすると聞くと部屋を訪ねて、いらないジーパンをもらい、切って縫ってスカートを作ったり。東京って服を捨てる人がたくさんいるから助かりましたよ!
東京に住む沖縄の人や知り合いが増えると、イベントとか結婚式の余興に出してくれました。ノーギャラで歌わせてもらってたからお金はいつもなかった。
昼はパチンコ屋、夜から朝までカラオケでバイトした時期も。ある夜、カラオケ店の廊下を掃除してたら、男友だちがモデルの女の子を連れてきて「この子、HYの泉のいとこで、歌を歌ってるんだよ」と私のことを紹介して。するとモデルの子が「同じいとこなのにひとりは紅白歌合戦に出てスゴイのに、ひとりはモップ掛けしてるんだ、かわいそうだね」と言ったんですよ。悔しくて物置部屋に入り、泣こうとしたけど、「今言われた言葉で自分はもっと頑張れる! もっと強くなれる!」と自分に言い聞かせ、その女の子が帰る時に「ありがとうございました」と笑顔で頭を下げることができました。そう言われることはしょっちゅうありましたよ。