山本晋也監督の人生を変えた「がんばれ!ベアーズ」を語る
東京五輪は日本にとって終わりの始まり
長嶋茂雄のデビュー戦、4打席連続三振で斬った場面をレフトスタンドで観戦したときの熱狂、以来、国鉄(現ヤクルト)スワローズのファンになった私が、このときの投球を聞くと、カネやんは「そりゃ打てないだろうよ。夜中にこっそり、対長嶋で練習したんだ」と笑った。
後楽園などにオドール監督率いる3Aのサンフランシスコ・シールズを迎えた日本野球。戦後初という触れ込みで、こっちはプロの第一線を揃えても、けんもほろろ。バッターボックスの隣にエンジンをかけたままのジープがあり、ノックで打ち上げたボールを外野にジープを走らせて捕球していた。本当にめちゃくちゃだった。
そんなアメリカの野球はもうないし、「ベアーズ」のような草野球をまだ向こうでやっているかも分からない。こっちでも、弱者の野球というのか、庶民が楽しんで、原っぱでは不良の子供たちの遊びだったのが、いつの頃からか野球道などといって、軍隊さながらのしごきやルールなんかでがんじがらめにして、国威とかナショナリズムの道具にしてしまった。「ベアーズ」の日本公開が1976年だから、俺はもう37歳という年齢だったし、敵国どうのというよりスクリーンに郷愁や憧憬を感じたかもしれない。それは「フィールド・オブ・ドリームス」(89年)につながり、軍手を布で補強した程度のグラブをはめた親父とキャッチボールした思い出を今も呼び起こしてくれる。
野球と同じくらい熱狂した東京五輪は記録映画のスタッフに加えてもらい、円谷がトラックに姿を見せたときの大歓声、抜かれて3位になってしまったときの7万人の悲鳴を今も鮮明に、肌身で覚えている。彼が国立競技場に唯一、日の丸を揚げる成績を残しながら、自ら命を絶ってしまったことも忘れない。
金まみれの野球と同様、五輪は政治色が強まり、今度の東京五輪は日本にとって、終わりの始まりになるんじゃないか。
東京の中野区のマンションを売っ払い、那須高原に引っ越した。満天の星がプラネタリウムみたいで、ガキの頃、望遠鏡をのぞいたことを思い出しながら、そんなことを思っている。
自分の映画では、決まって駄目なヤツが主人公で、駄目なヤツばかり登場するけど、それは「ベアーズ」の影響だった。そんな駄目なヤツらが自由に生きて、それでもなんとかやっていけるような世の中であってほしい。
そう願うばかりだ。
(取材・文=長昭彦/日刊ゲンダイ)
▽やまもと・しんや 1939(昭和14)年、東京・神田生まれ。日大芸術学部卒。「未亡人下宿」シリーズなど、約250本のピンク映画を世に送り出し、テレ朝系「トゥナイト」「ワイド!スクランブル」などでのリポーターとしても活躍。本紙でも風俗リポートを連載、それは新書「風俗という病い」(幻冬舎)となり、今も話題だ。