山本晋也監督の人生を変えた「がんばれ!ベアーズ」を語る
「がんばれ!ベアーズ」1976年 アメリカ映画
映画監督の山本晋也さん(80)は、太平洋戦争を少年時代に経験した焼け跡世代だ。上空をB29が埋め尽くした東京大空襲は小学校に入る前、圧倒的なアメリカの軍事、破壊力におののいた。敗戦後は一転、かの国の魅力に圧倒されてしまう。人生をも変えた映画は「がんばれ!ベアーズ」だ。
■これこそ“民主主義の原点”と納得した
確か新宿の「弐番館」だったと思うけど、足を運んだのは主演のウォルター・マッソーが好きだったからなんです。元マイナーリーグの投手にして、プール清掃員という役どころ。少年野球チームの監督を引き受けたのは金欠だからで、練習中も缶ビールとたばこを手放さない。監督が適当でいい加減なら、選手の子供たちも問題児ぞろいで、何ひとつ形式ぶってないんです。最弱チームというのもまあ当然なんだけど、それがどうしたっていうくらい、自由なんですね。
試合でも、バッターボックスから「ケツにバットをねじ込むぞ」なんて投手に悪態をつくわ、エラーした腹いせにグラブを投げつけるわ、ダイヤモンドを走る選手に足を掛けて転ばせたりで、もうめちゃくちゃ。それがテイタム・オニール扮する女の子投手の活躍で、みるみる強くなり、あわやホームランという打球を捕っちゃったりして、決勝戦まで勝ち上がっちゃう。さすがに優勝とまではいかないんですけど、勝った相手チームが試合後、よくやったとベアーズの健闘を称え、打ち崩せなかった投手が握手を求めてきても舌を出して、「うるせえ、次は負けねえぞ」ってなもんで、そういう偽善には応じない。あるのは勝つか負けるか、だけ。ああ、これはアメリカの一番いいところ、民主主義の原点じゃないかって納得したもんです。
どうして、敵国だったアメリカを知っていながら礼賛するんだって思われるかもしれません。
確かに、そうだ。東京大空襲の翌日、黒こげの遺体がそこら中に転がっていたのを覚えている。抜けるような青空だったあの8月15日、路地でベーゴマをやっていると、近所の親父がやってきて「このジャリども」って、床(台)を蹴っ飛ばした。それで何か世の中に起きたことが分かって、家にすっ飛んで帰ると、明治23年生まれのばあちゃんが正座していた。
「おまえ、死ななくていいんだよ」と言った。
カストリ飲んで、また酔っ払ってた親父は「今度やるときは勝たなきゃならねえ」と言ってた。
見渡す限りの焼け野原。こじきじゃねえんだから、チョコレートなんて拾うんじゃねえぞと親父は言ってたけど、その建築士の親父が米軍キャンプで働き口を見つけ、洋モクを弁当箱に忍ばせて持って帰り、それを闇市でさばいたりしていた。それで何とか家族は食いつないだ。向こうにはソーセージやらコンビーフやら、日本人じゃとても手に入らない肉とか何でもあったんです。
野球はGIの遊びで、ジープで原っぱに乗りつけてやっていた。こっちも三角野球をやっていたし、カネやんこと、金田正一は、GIのジープの座席に革のグラブが3つあって、うち1つがめったにない左利き用だと見つけ、ぎった。そのおかげで野球を本格的に始めたと言っていた。悔しいけど、敗戦後の食いぶちも、この国の野球文化の始まりもアメリカだったと認めなきゃ、しょうがない。