結婚・離婚のキモは「実家の母」バツイチ長渕剛の時は…
長渕剛が最初の妻と離婚した時だった。鹿児島に住んでいた母親を訪ねた。玄関先での立ち話から3度目の取材では打ち解けたのか、取材後に飲みに誘われた。
鹿児島一の繁華街・天文館にあった母親馴染みの軍隊酒場だった。店員が全員、軍服の居酒屋で母親の知り合いも交えて飲んだ。飲みながらも話の端々に息子を心配する母親の心情が伝わってきた。
福岡では小柳ルミ子の母親が印象に深く残っている。博多にほど近い街、駅前商店街を抜けたところにあった実家。玄関には娘のレコードジャケット写真などが飾ってあった。大澄賢也との結婚話をきっかけに離婚話でも行ったのだが、「私はルミ子を信じとる」と言うだけで、苦労して育てた娘の昔話をよくしてくれた。話をするのは決まって近くの中華料理店。「焼きそばがおいしいのよ」といつも食べていた。「ビールでも飲みなさい」と昼でもお酒をすすめる明るくて楽しい人だった。
芸能界を通して見る娘から勝手に母親のイメージを想像していたが、だいたいは覆された。