故・浅香光代さん「ミッチー・サッチー騒動」の裏の計算
隠し子の父親は大物政治家?
東京は神田生まれの江戸っ子。5歳から芸者の置き屋で奉公したが、そこを逃げ出し9歳のときに映画俳優だった浅香新八郎らの一座に子役として加わると、14歳で剣劇の「浅香光代一座」を旗揚げ。劇中、太ももを観客にのぞかせる「チラリズム」の演出で人気を集め、浅草を中心に「女剣劇」ブームを巻き起こした。てんぷくトリオの三波伸介も一時在籍していた。
その後テレビドラマや映画にも出演、サッチー騒動で人気タレントとなると、バラエティー番組を賑わせ、プロレス団体の旗揚げ戦に参戦したことも。
2014年には雑誌で20代で出産した隠し子がいると突然発表し、また世間の耳目を集めた。
父親は既婚の政治家で、首相を歴任した人物(故人)としたが、最後までその名は明かさなかった。
「その言動には眉唾のところもありました。ただ、それがまた、親しまれるエピソードになったりしたのは、ひとえに人柄なのでしょうね。芸人の間では豪快な人柄で知られ、他人の楽屋でくさやの干物を焼いて、騒ぎになったこともあります」と、浅香さんを知る芸能関係者は言う。
事実婚だったコメディアンの世志凡太は18年5月、都内ホテルでの浅香さんの「卒寿を祝う会」でこう挨拶し、笑いを誘った。
「浅香光代の6番目の亭主です。一緒に暮らして28年目。3つ違いのはずが実は6つ違いました」
葬儀・告別式は近親者のみで営まれる。合掌。