吉本興業前会長・大﨑洋さんに「新喜劇やん。書けるやろ?」と言われて今の自分がある
あまりの急展開に言葉を失っていると「時間ないから今週中にプロット書いてきてくれ。頼んだで」と言われ、書き方も知らず、何冊かの新喜劇台本を借りて、見よう見まねで45枚の台本を書き、ここから10年以上、レギュラー作家として書かせていただくことになりました。
同じく90年の2月、大﨑さんからの話ということで、新人開発担当の方から「9期生からNSCの講師頼むね」といや応なく9期生から講師になっていました。それがいまでは私のライフワークになっています。
さらに10年近くたったある日、楽屋で大﨑さんにお会いすると、またまたいきなり「自分(君は)なんで東京来いひんねん!」と怒られ、なんのことかわからず「東京ですか!?」「そうや(東京の)NSCや。東京嫌いか?」と聞かれたので「あの……声をかけていただいてませんが……」と答えると「ウソ!? マジで? 声かけてなかったか……ごめん」と頭を下げられ、翌月から東京NSCの講師に呼んでいただき、今も続いています。
吉本の全体のことなど知る由もありませんが、有言実行、決めたら動くというよりも、動きながら決めていくというような俊敏さに驚かされ続けの40年近くでした。