高校を中退し石原裕次郎の内弟子になろうと成城の自宅へ
石原裕次郎、渡哲也に憧れていた松平は、せっかく入学した県立豊橋工業高校を中退し、16歳で役者を目指して上京する決意を固める。
高校を卒業すれば、地元のトヨタ自動車やデンソー、中部電力といった有力企業への就職の道が開ける可能性もあった。 だが、母のいつさんは反対するどころか、「成功するかは分からないけど、自分のやりたいことをやりなさい」と言って肩を叩いてくれた。貧しい家計の中から3万円を捻出し、手渡してくれたという。その時、父はすでに他界していた。
「まずは、もしかしたら内弟子にという淡い期待を持って成城の石原裕次郎さんの家を訪ねました。その時、裕次郎さんはお留守で留守番の人に『石原プロモーションの方に電話してくれ』と言われて電話したのですが、『今は新人俳優はとっていない』という返答でした。それでちょっと上野をぶらぶらして、新聞を読んでいたら、たまたま俳優養成所の記事を見つけたのです。まさに行き当たりばったりでしたね」
石原裕次郎に渡すはずの願書を養成所(宝映テレビプロダクション)の事務所まで持って行ったという。若いからできたとはいえ、とんでもなく無鉄砲な行動だ。