釜本邦茂氏 「“日本らしいサッカー”という言葉に違和感」
コートジボワールの選手と日本人選手を比べると「個の差」は、思っていた以上に歴然としていましたね。でも、差があること自体、戦う前から分かっていたこと。キックオフの笛を聞いて初めて気付いたことではない。
フィジカル、テクニック、スピード、ドリブル突破力、キープ力、スタミナ……どんな戦いをすればこの差を埋められるか? これがコートジボワール戦に臨む日本代表の命題だった。
選手ひとりひとりが一生懸命にプレーする。組織力を整備して「チームとチームとの戦い」に持ち込み、個の差のハンディを補う。堅く守ってコトージボワールの攻撃を耐え忍び、機を見るに敏なカウンターを仕掛けてゴールを狙っていく……いろいろなやり方はあるだろうが、ザッケローニ監督は「得点が相手よりも多ければ、何点取られてもいい」という攻撃サッカーを選択した。
サッカーは得点を奪わないと勝てない。そのために攻撃的にいく。考え方は間違ってはいない。しかし、レベルの高い相手からどうやってゴールを奪うか? 方法論が徹底されないと無意味だ。果たして日本は、コートジボワールからゴールを奪うだけの攻撃力を身に付けていたのか?