五木寛之 流されゆく日々
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連載11773回 年は過ぎ人は去る <2>
(昨日のつづき) 世界は一面だけではない。落葉にも裏と表があるように、あらゆる事実に表裏がある。 悪が存在するからこそ、善という概念が成り立つのだ。夜と昼のようなものだろう。 世界の成立以…
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連載11772回 年は過ぎ人は去る <1>
年の暮れに一年を回顧する、などという殊勝な気持ちは、もう忘れた。 時の流れに切れ目はないのだ。一年が終ると、音もなくさらなる一年が流れてゆく。 今年もいろんな事があった。 ウクライナ、パ…
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連載11771回 わが対談クロニクル <5>
(昨日のつづき) 人名別の対談リスト(活字メディアのみ)を見ると、すでに故人となられたかたがたの名前も少くない。 阿佐田哲也さんとは、ずいぶん多くやっている。 石岡瑛子さんとの対談も忘れが…
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連載11770回 わが対談クロニクル <4>
(昨日のつづき) <年代順>にまとめた対談リストを眺めて、感心したのは、よくこんな昔の対談をみつけ出したもんだ、ということだった。 一覧表では、1968年からの対談がリストアップされている。私が…
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連載11769回 わが対談クロニクル <3>
(昨日のつづき) <対談>は<会話>ではない。 対立、対決、タイマンなど、<対>のつく字は、双方が同じ土俵で向かいあうことだ。 <対峙>もそうだ。いわば言葉による決闘という感じがある。 表…
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連載11768回 わが対談クロニクル <2>
(昨日のつづき) これまで新聞・雑誌など出版物に限って対談をした相手のかたがたの顔ぶれを眺めてみる。 もちろん、全部ではない。過去のデータというものは、ほぼ全体像をつかんでいるが、細部は必ずし…
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連載11767回 わが対談クロニクル <1>
先日、某出版社から連絡があって、「あなたの過去の著作物を復刻版の雑誌に掲載するので許諾をいただきたい」という。 どうも記憶にないので、「それはどういう内容のものでしょうか」とたずねた。 する…
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連載11766回 我流をとおす生き方 <5>
(昨日のつづき) 『週刊新潮』の記事によれば「60年という眼球寿命」というわけだから、目が命の文筆業者としては大きな不安を抱かざるをえない。すでに耐用期限を30年以上も越えて酷使している身なのである…
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連載11765回 我流をとおす生き方 <4>
(昨日のつづき) 今週の『週刊新潮』の<60年という眼球寿命を延ばす新常識>という記事は、大変、役に立った。 米国の白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)の最高賞を20回も受賞されたという眼科外…
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連載11764回 我流をとおす生き方 <3>
(昨日のつづき) 今週発売の『週刊新潮』(12月14日号)に、とても役に立つ記事が載っている。 最近、当紙(日刊ゲンダイ)にも、『週刊文春』『ポスト』誌などにも、健康に関する真面目な記事が毎回…
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連載11763回 我流をとおす生き方 <2>
(昨日のつづき) 我流というのは、自分流ということだ。客観的な基礎知識も、理論もなく、自分の感性と発想にもとづいて行動することである。 もちろん、失敗も、誤りも多い。しかし、まちがっていると感…
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連載11762回 我流をとおす生き方 <1>
今年も暮れる。 12月にはいると、カレンダーが音をたててめくれていく。 出版の世界では<年末進行>という例年の行事で、さまざまな雑事が押しよせてくる。師走とは、よくいったものだ。猫の手も借り…
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連載11761回 ムラの形成と抵抗 <4>
(前回のつづき) 戦うことと、逃げること。 わが国では、最後まで抵抗して戦い抜くことを讃美する気風がある。 城と共に敗れて一族、自害する気風が悲壮感をもって語られることが多い。 しかし…
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連載11760回 ムラの形成と抵抗 <3>
(前回のつづき) 惣村が成立すると、農民は惣百姓としての自覚と連帯の意識とともに、惣掟などを定めたり<自由の検断>と称される法的対処までも手にする場合もあった。 荘園制度の衰退にしたがって、自…
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連載11759回 ムラの形成と抵抗 <2>
(前回のつづき) 中世というのは変動の時代である。鎌倉後期ごろから、地方の農村に<惣>という現象が生まれてきた。<惣>は<総>でもある。ひとつの集団意識といってもいい。 かつて、というか戦後の…
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連載11758回 ムラの形成と抵抗 <1>
私が新人作家として執筆活動をはじめたのは、1960年代後半である。 当時はジャーナリズムの酷使に耐えて生き残ることが、プロ作家の条件だった。 その後、<休筆>と称して、しばらく小説を書くのを…
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連載11757回 古い万年筆を修理に(補稿)
(前回のつづき) これまで、いくつかの賞の選考委員を長いあいだつとめてきた。 90歳を過ぎて、老害、という言葉を思いだして、退役を申しでたのだが、まだ半分ほどが残っている。 そのなかの一つ…
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連載11756回 古い万年筆を修理に <5>
(前回のつづき) 私は極端な筆無精である。ほとんど病気といっていいくらいに私信というものを書けないまま馬齢を重ねてきた。 当然、書くべき返事を書かなかったために、人間関係をそこねたこともしばし…
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連載11755回 古い万年筆を修理に <4>
(前回のつづき) 昨日、めずらしく万年筆の手紙を頂戴した。金沢のテレビ局、テレビ金沢の蔵さんからの連絡である。 若いプロデューサーだった蔵さんと一緒に<新金沢百景>という番組を立ちあげたのは、…
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連載11754回 古い万年筆を修理に <3>
(前回のつづき) 修理にだした万年筆は、意外に高くついた。私は店頭で簡単に調整できると思っていたのだが、工場へ送って修理するという。 2本の修理代は、その万年筆1本が買えるくらいのものだった。…