山口瞳が愛した店
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室町砂場(日本橋) テンスイを肴に酒、最後にモリを1枚
1974年12月某日。山口瞳は馴染みの彫刻家と陶芸家の3人で日本橋の「室町砂場」にいた。「砂場」は東京では「籔」「更科」と並ぶそばの3大暖簾のひとつ。「砂場」の暖簾を掲げる店は現在100店ほどあるが…
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山の上ホテル(神田駿河台) 旬の食材の“程がいい”天ぷら
神田駿河台の高台に立つ「山の上ホテル」(1954年開業・客室数35室)は多くの作家が定宿にし、またはカンヅメになって原稿を書いた「文化人のホテル」として知られる。川端康成、三島由紀夫、田辺聖子、池波…
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萬年堂(銀座) 家伝の仕様書で製造される「御目出糖」
銀座5丁目に店舗を構える萬年堂のルーツは、元和3(1617)年に京都寺町三条で創業した「亀屋和泉」。今年でちょうど創業400年にもなる老舗菓子店だ。 明治5(1872)年に東京に移転するのと…
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一澤信三郎帆布(京都市東山区) 布が腐るまで使い古した
“京都で作って京都で売る”をモットーにしている一澤信三郎帆布の製品(船の帆にも使われる厚手で丈夫な帆布で作られた手提げやリュックなどの各種カバン、小物、帽子など)は京都・東山の直営店でしか買うことが…
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祇園サンボア(京都市祇園) 特訓で習得したマテニーの誕生
1918(大正7)年に神戸で開業した「岡西ミルクホール」をルーツとする「サンボア」は、来年創業100周年を迎える。“日本最古”といわれるほどの歴史を誇るバーだ。現在「サンボア」の看板を掲げている店は…
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小笹寿し(銀座) 名人の味を受け継いだ兄弟子
昭和25年に銀座8丁目で開店した小笹寿しは、昭和30年代、40年代においては「久兵衛」「なか田」と共に銀座の高級寿司店で3本の指に入るといわれた名店。山口瞳はまだ作家になる前、一介のサラリーマンだっ…
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ロージナ茶房(国立) 2人の“応接室”で楽しんだ無駄話
1954年開業の老舗喫茶店「ロージナ茶房」はJR国立駅南口から徒歩3分ほどの細い路地に面して立っている。64年に国立に引っ越し、住み続けた山口瞳が足しげく通った喫茶店で、晩年の著書「行きつけの店」で…
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まっちゃん(国立) 放浪の詩人のお気に入りは串焼きと煮込み
生涯に三十数回引っ越した放浪の詩人・草野心平(1903~88年)が国立に住むことになったとき、真っ先にしたことが“お気に入りの飲み屋探し”だった。町中の飲み屋を飲み歩いた結果、焼き鳥(焼きトン)の「…
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明神下 神田川本店(外神田) 神田といえば志ん生
神田明神前の道を秋葉原方向へゆるゆると下っていった明神下交差点のすぐそばに、文化2(1805)年創業の老舗うなぎ店「神田川本店」はある。風情のある黒板塀に囲まれた店は昭和27(1952)年の木造建築…
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マルゼンカフェ(日本橋) ケチャップ味がしない早矢仕ライス
〈ちょっと辛めで、はじめの一匙で、遂にハヤシライスにめぐりあったという感じがした。ハヤシライス党の妻も大満足の様子。ここは穴場だ。〉 少々ガタがきた総入れ歯を作り直すため訪れた築地の歯科医院で…
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そば所 銀座 よし田(銀座) 中学時代にタイムスリップできる場所
山口瞳は私立の名門・麻布中学校1944年度卒の第49期生。同期会の幹事なども務めており、49期生とのつき合いは最晩年まで続いた。幹事会の場所は1885年創業の銀座の「よし田」の2階座敷と決まっていた…
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ミロンガ・ヌォーバ(神田神保町) 昭和の雰囲気を残す隠れ家
〈雑誌の編集者であった私にとって「ランボー」は古戦場だった。〉――週刊新潮に連載していた「男性自身」の中で山口瞳はこう書いている。神田小川町に本社を構えていた河出書房で雑誌「知性」の編集をしていた30…
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はち巻岡田(銀座) 冬の定番「鮟鱇鍋」を食べなくちゃ
著書「行きつけの店」の中で山口瞳は全23店を紹介しているが、全国の老舗名店の中でいの一番に紹介しているのが「はち巻岡田」だ。〈鉢巻岡田(後述)の鰹の中落ちを食べなければ(私にとっての)夏が来ない〉〈…
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大坂家(三田) 冠婚葬祭の必需品だった秋色最中
慶応義塾大学三田校舎正門のはす向かい、9階建てのビルの1階に和菓子の大坂家はある。「男性自身」に“三田の大坂家”としてたびたび登場する店だ。 大阪で商売をしていた大坂家がお江戸日本橋に移った…
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維新號(銀座) 死の3カ月前に食べた「細くて長い麺」
山口瞳夫妻が銀座維新號を最後に訪れたのは1995年6月27日のこと。2月に人間ドックで胸に影があるのが見つかり、検査のために入院した慶応病院で悪性の腫瘍だと告知されたのが5月17日。2、3年経過観察…
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割烹蒲焼八十八(関内) 従業員の気働きのいい店
「八十八」は1910(明治43)年創業の老舗だ。横浜・伊勢佐木町の裏通りの小さなうなぎ屋を関内一の料亭に育て上げたのは“関内の三大女傑”とうたわれた初代女将・荒井米さん。1959年に米さんが亡くなると…
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そば芳(国立) 自慢の田舎そばよりも湯豆腐とあげそばを肴に
JR中央線・国立駅南口からすぐのところに「ブランコ通り商店街」はある。速足で歩けば1、2分で通り抜けてしまいそうな通りの両脇に、20店ほどが並んでいる小さな商店街だ。山口瞳が愛した「そば芳」はその一…
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うなぎ押田(国立) 「寒庵」の扁額を掲げた座敷
山口瞳が東京・国立市に引っ越したのは1964年のこと。自ら“変奇館”と名づけた一風変わった家が、ついのすみかになった。山口作品には地元・国立の行きつけの名店がたびたび登場する。駅前の繁寿司やロージナ…
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秀寿司(浦安) コハダ、アオヤギをツマミに燗酒を
作家・山口瞳は1979年に2度浦安を訪れている。1度目は春。全集に入れる山本周五郎の本の装画を頼まれ、そのスケッチ旅行で浦安に5泊した。2度目は夏真っ盛りの8月。「別冊小説新潮」に連載していた「酔い…