「鎌倉物語」永遠の伝説・原節子
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<第2回> 銃後の守りの象徴から戦後民主主義の象徴へ
1935(昭和10)年、「ためらふ勿れ若人よ」でデビュー。役名の節子から芸名の原節子となった。しかし、デビュー映画は現存していない。翌年には小津安二郎の友達でもあった、天才・山中貞雄監督の「河内山宗…
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<第2回> 家計を助けるために14歳で銀幕入り
小津安二郎の映画プロデューサーだった山内静夫さんが語る。 「写真があるから見たことがあるかも知れないけれども、扇ケ谷(筆者注:里見弴先生の自宅があった鎌倉の地名)のうちの親父のところでよく会を…
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<第1回> 役者の原節子は一皮かぶっているんじゃないかな
現役時代の原節子を語れる日本でも数少ないひとり、山内静夫さんは白樺派の文豪、里見弴先生の息子で、小津安二郎の映画プロデューサーで、鎌倉文学館の3代目館長だった方である。鎌倉の名士中の名士。 …