<第2回> 家計を助けるために14歳で銀幕入り
小津安二郎の映画プロデューサーだった山内静夫さんが語る。
「写真があるから見たことがあるかも知れないけれども、扇ケ谷(筆者注:里見弴先生の自宅があった鎌倉の地名)のうちの親父のところでよく会をやったんですよね。原さんや小津さんもよくいらしてました。小津監督の『彼岸花』や『…
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