<第2回> 銃後の守りの象徴から戦後民主主義の象徴へ
1935(昭和10)年、「ためらふ勿れ若人よ」でデビュー。役名の節子から芸名の原節子となった。しかし、デビュー映画は現存していない。翌年には小津安二郎の友達でもあった、天才・山中貞雄監督の「河内山宗俊」に出演。これは現存していて、ぼくも映画館で見たことがある。16歳の原節子の美…
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