証言でつづる 定年後のリアル
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松本大忠さん<2>母に教わる貯蓄の大切さ 現役時代から実践
63歳で完全リタイア後は、定年後の穏やかな人生を楽しんでいる松本さん。しかし、振り返れば多難な半生だった。 社会人になるまでに、家業と家族は2度の火事に見舞われ、そのたびに松本家は借金を抱え…
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松本大忠さん<1>家事が2度火事に…借金返済に追われた人生
松本さんが生まれて間もない昭和20年代、独立心旺盛だった松本さんの父親は都内の杉並区に土地を購入し、家を建てて、八百屋を始めた。 しかし、松本さんが5歳の時、火事で家が全焼。放火だったという…
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茂木賢二さん<2>リタイア後は駅近マンション投資で財テク
東京都下水道局を60歳で定年退職、その後、嘱託で日本下水道事業団などで働き、62歳で完全リタイアした茂木さん。老後資金の心配はなかったのだろうか。 「公務員なので年金などの保障がしっかりしてい…
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茂木賢二さん<1>都庁一筋 学歴のない叩き上げの模範だった
父親が南満州鉄道株式会社(満鉄)で働いていたため、茂木賢二さんは満州で生まれた。 「満州時代は何不自由ない生活を送っていたそうです。ただ、敗戦後、私が小学生に上がる前の5~6歳の時に内地に引き…
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小杉茂樹さん<2>会社経営と借金の取り立てに苦しんだ過去
「今がいちばんいいね」 小杉さんの奥さんは、最近よく、そしてしみじみ呟くそうだ。小さな建設会社の経営者として浮き沈みがあった小杉さんとともに歩いてきた奥さんもまたたいへんな苦労をされたにちがい…
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小杉茂樹さん<1>調子がいいときほど人の忠告を聞く姿勢を
「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」 85歳になる小杉さんに、現役サラリーマン読者へのアドバイスを聞いたときの回答だ。 「調子がいいときほど、人の忠告に耳を傾ける姿勢をもつといい…
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松田壽さん<2>退職後「地元の付き合い広げたい」と大学へ
61歳で完全リタイアし、「もう働かない。楽しく生きる」と決意した松田さんは、「これまでは仕事一辺倒の生活だったので、もっと地元の付き合いを広げたい」と考えていた。 「ちょうど市の広報で、“彩の…
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松田壽さん<1>同僚の死が教訓…61歳で完全リタイアを決意
長く一緒に働いた1つ年上の同僚が亡くなったのは、松田さんが50代の初め。部長に昇進してすぐの頃だった。 「彼は、同じ仕事をずっとしてきて、酒も飲んだし、夜遊びもした、長い付き合いの職場の同志で…
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石川憲一さん<2>高校から吹奏楽 現役・リタイア後もOB活動
都内の私立大学を出て某金融機関に就職した石川さんだが、高校は、東京都立武蔵丘高等学校と公表する。なぜなら、定年後の生活は、武蔵丘高校なしに語れないからだ。 中野区にある武蔵丘高校は今年、創立…
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石川憲一さん<1>金融機関での現役時代は12回の転勤生活
「金融関係に就職すると、大変なのは、やはり転勤でしょうか。全国を飛び回るので、現役時代は、カロリー数の違うガスコンロをどちらも持ち歩いていました」と笑うのは、大学を卒業後、ある金融機関に就職した石川さ…
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森田義之さん<2>衰えた気力…奮い立たせたのはモナ・リザ
森田さんは、「メディチ家」(講談社現代新書)や「イタリア・ルネサンスの文化と社会」(岩波書店)など著作や翻訳書も多く、美術史研究の第一人者だが、一度だけ、自信を失いかけたことがある。大病がきっかけだ…
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森田義之さん<1>定年の“前”も“後”もほとんど変わらぬ生活
大抵は定年退職や完全リタイアを境に、勤め人の生活は一変するものだ。一変とまではいかなくても、生活が変わるか、あるいは変えることになる。 しかし、ごくまれに、定年退職以前と以後で、生活ぶりがほ…
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須田新平さん<2>がんを患ったとき、医者の言葉に救われた
58歳で印刷会社を定年退職後、87歳の今まで30年近く駐車場管理の仕事を続ける須田さん。休日の趣味は、散歩と日本刀の鑑賞だ。 「雨の日でも雪の日でも、2日ある休日のうちの1日は、必ず散歩に出ま…
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須田新平さん<1>87歳の今も駐車場管理の仕事を続ける理由
定年後の過ごし方は、人それぞれだ。趣味を極めたり、ボランティアを始めるなど、第二の人生を謳歌する人もいる。次の職場に進み、完全リタイアを先延ばしにして励む人もいる。生涯現役で働く人もいる。 …
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岩崎信一郎さん<2>学生時からハマった趣味が人生の支えに
岩崎さんが東海大工学部の原子力工学科に入学したのは1959年。当時、学生の間では社交ダンスが大ブームだったという。 「学生の2人に1人は、ダンスをやっていたほどで、私もすぐに夢中になりました」…
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岩崎信一郎さん<1>世界的に注目された放射線測定器を開発
「災い転じて福となす」とは、不運や向かい風を、逆に幸福のきっかけにすること。後に放射線測定器の開発で、世間の耳目を集めることになる岩崎信一郎さんの大学受験も、まさにそうだった。 ■受験失敗、新会…
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来島定男さん<2>ギターのおかげで活動の場が広がり充実
2001年、60歳で広告代理店を定年退職した来島さん。時間だけがあり余ったという。 「なにか始めなければ、間が持たない」と考え、知人に頼んで、夫婦で売店のアルバイトを始めた。それは、サッカーの…
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来島定男さん<1>定年後にしたいこと、やるべきことがない
「定年後、私には何もない」と、そのとき、来島さんは痛感したという。 それは、会社が福利厚生の一環として、定年(当時60歳)を迎える3年前の社員を対象に、定年後の生き方をさまざまな側面からレクチ…
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島田光夫さん<3>現役時代から愛するゴルフが一生の趣味に
埼玉県の小川信用金庫に就職し、ゴルフブームのころに融資の仕事をしていた島田さん。ゴルフに熱中するのは自然の流れだったようだ。 「信用金庫という仕事柄、ゴルフ付き合いも大切な仕事でした」。25歳…
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島田光夫さん<2>68歳まで雇用延長は可能も63歳でリタイア
埼玉県の小川信用金庫でサラリーマン時代を送った島田さんは、55歳で次の就職先である総合建設の伊田テクノスに移った。会社からは入社時に「68歳まで働いて」と言われていたが、63歳のときに自ら会社を辞め…