証言でつづる 定年後のリアル
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取締役時代から老後に備えて不動産経営に踏み出す先見の明
昨年来、「老後資金2000万円問題」が話題になっているが、現在81歳の小澤さんは、30年以上も前から、定年後の生活を案じ、そのための準備を進めてきた人だ。 小澤さんは、慶応大学を卒業後、損保…
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会社員時代からのバンド活動が定年後の再就職にも役立った
38歳で私鉄系広告代理店に転職した福田さんは「広告代理業の仕事が楽しくて仕方なかった」という。 一方、その年、カメラマンの鶴田照夫さんと知り合う機会に恵まれた。鶴田さんはカメラマンの活動と同…
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国際ビジネスマンとミュージシャン 2つの夢を追い求める
「ミュージックバーで歌い、踊るご年配の方々の元気で楽しそうな姿を見て、私も定年後はこうなりたいと思いました」 こう語る福田さんは今年61歳。定年後の第二の人生をスタートさせたばかりだ。 …
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「定年後の労働は社会貢献」自由な今がいちばん楽しい
「働くことは一石三鳥。経済、健康、生きがいのためです」 こう語る須原さんは、定年まで大和証券グループで働き続け、67歳で独立系FP(ファイナンシャルプランナー)として「スハラFPコンサルタント…
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多くの資格を取りFPとして独立 最初の1年はほとんど客なし
FP(ファイナンシャルプランナー)として第二の人生を送る――そう決めたきっかけは入院だったという。新卒入社以来、ずっと大和証券グループで働き続けた須原さんは60歳のとき、3週間ほど入院。自分を見つめ…
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生涯現役で可能な限り働く…定年後はFPとして独立を決意
「60歳、65歳を過ぎてまで、満員電車に揺られるのはゴメンだという人がいます。定年後はとにかくノンビリしたい、と。こうした相談を受けると、私は決まって『いえいえ、まだもったいないです。体が許す限り、環…
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63歳で俳優デビューした妻と「今はサポート役」と笑う夫
会社を定年退職したら「いのちの電話」の活動に参加しようと、現役時代から決めていた百元さん。今年で18年目。首都圏の相談センターに通うのは月に2~4日程度だ。それ以外の日は何をしているのか。 「…
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いのちの電話の5本に1本は「死にたい」と切実な相談内容
滋賀日産自動車の代表取締役――。この肩書を最後に、64歳で会社勤めをやめた百元さんは「いのちの電話」の活動に加わった。 1953年にイギリスで始まった「いのちの電話」。言うまでもなく、自殺予…
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滋賀日産自動車のトップからボランティアに転身した生き様
定年後に始めたいことのひとつに、ボランティアをあげる人が多い。ただ「何をすれば、どこに行けば、どうすれば」と悩むばかりで、なかなか行動に結びつかないのが現実のようだ。 その点、百元さんは、現…
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妻のためにも元気でいないと…毎日を精力的に楽しむ理由
認知症の兆しが出始めた奥さんから、自分のことを40年前に亡くなった義父と間違われるようになった秋山さん。 「妻の両親のお墓を撮影して見せたり、海外旅行のときの写真を見せて、何度も私が旦那である…
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妻が倒れて寝たきりに…過酷な介護生活に音を上げたことも
「秋山さん、大変。奥さんが玄関で倒れているわよ」――。 その声に驚いて玄関のドアを開けた秋山さんの目に飛び込んできたのは、自転車を抱えるように倒れている奥さんの姿だった。8年前のことだ。 …
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68歳で完全リタイア 平穏な老後生活がある日から一変した
埼玉県にある自動車部品製造の自動車機器株式会社(JKC)で働いていた秋山さんは、60歳で定年となったが、再就職はすんなり決まった。 「定年の2、3年前だったか、囲碁仲間だった取引先の社長と自動…
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「われ以外みなわが師なり」を心がけたサラリーマン時代
「われ以外みなわが師なり」――これは、小説家・吉川英治の言葉で、秋山さんがずっと胸に刻み、大切にしてきた言葉だ。 秋山さんは、埼玉県で和紙製造の家内工業を営む家に生まれた。5人きょうだいの4番…
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教育分野への功績認められ 70歳のときに瑞宝双光章を受章
現在、ウオーキングボランティアに力を注ぐ長谷部さんは定年後、ウオーキングのほかに心が向いたものが2つある。社交ダンスと読書だ。 「定年後、夕食後の運動のために社交ダンスも始めました。どこの団体…
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減量目的で始めたウオーキング…打ち込めるものは楽しい
「健康にいいこと、なにか始めないとな」と長谷部さんが強く思うようになったのは、定年後、教育相談所に勤めるようになって1年目の頃。61歳だった。 「定年前から徐々に太り始め、定年時は体重70キロで…
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中学教師を皮切りに教育一筋 定年後も77歳まで働けた幸運
長谷部さんが小学5年生のとき、父親が自殺した。 「父親は13代続いた医者でした。第2次世界大戦の末期、憲兵隊本部に軍医として召集され、捕虜の診察を担当しました」 当時の捕虜は、日本本土…
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10年前に脳梗塞で倒れるも絵を描くことで心身リフレッシュ
東京日産自動車販売勤務から脱サラして、いくつもの商売を経験した青木さん。うまくいっていたのに、急にはしごを外されるような、そんな苦労が絶えなかったが、その都度、前を向けたのは、奥さんの支えがあったか…
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東京日産自動車販売を37歳で脱サラも…波瀾万丈だった半生
大学を卒業した青木さんは、当時の花形企業の一つである東京日産自動車販売に就職。2年目から6年間、査定係に従事した。 「その後、都内の中古車販売センターの所長に就任。中古車販売の仕事は面白く、い…
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月25万円の年金生活 2万円で大好きな遺跡や寺社仏閣巡り
出版関係の会社を60歳で定年退職した志村さんは、次に出版社で業務委託として働いてきたが65歳で完全リタイアした。 「65歳で年金が支給され始めるので、それまでは頑張ろうと思っていました。退職金…
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定年直前に3.11 部署が対応に忙殺…辞めるのがつらかった
志村さんは9年前に定年退職を迎えたが、今もその頃のことを鮮明に覚えているという。後ろ髪を引かれる思いが強烈に残っているからだ。 定年退職日の就業規則は会社によって異なる。①定年年齢に達した日…