証言でつづる 定年後のリアル
-
庄司博彦さん<2>定年後もフォトジャーナリストとして生涯現役
「忘れもしません。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きました。『ニューヨークに飛んで<明日への瞳>をテーマにした写真を撮影してきてほしい』と、ある雑誌社から依頼された。行ってみると、もう街…
-
庄司博彦さん<1>営業とフォトジャーナリストの二足の草鞋
終戦後の食料不足の時代、静岡県沼津市の酒屋に生まれ育った庄司さんは映画や写真が大好きだった。 「酒屋を営む傍ら農地を貸していたので、蔵の中は年貢米や野菜でいっぱいでした。それを目当てに都会から…
-
神津彪さん<2>退職後、昼からビールを飲む生活を2年間。うつのような状態に
東京・世田谷から大田市場に移り、野菜市場の中の「青果」会社を58歳で定年退職した神津さん。もう働かないと決めて完全リタイア。解放感を満喫した。早朝4時半に出勤することもなくなったので、大好きなビール…
-
神津彪さん<1>58歳で定年退職。働かないと自由を満喫も…
待ち合わせ場所に現れた神津さんのいでたちは、テンガロンハットにウエスタンスタイル。聞けば、子どもの頃から西部劇が大好きで、ウエスタン衣装にハマったという。 ■子ども時代からハマったウエスタンと…
-
野場良之さん<2>医者に頼りたくない…健康管理は自分で!
野場さんが定年後、もっとも気にかけていること、それは健康だ。 ■若い頃の体験から病院がトラウマに 「実は大学生のとき、盲腸で倒れて銀座の病院に入院しました。手術後、抜糸すると傷口が開いて…
-
野場良之さん<1>営業力を見込まれ、80歳まで現役生活
「愛知県の田舎で生まれた私は、高校時代に物理倶楽部に所属するほどの物理好き。そのため、同郷の東京理科大学初代学長・本多光太郎先生は憧れの存在でした。家業は農家で、ちょうど高校卒業の年に父親が亡くなり、…
-
鍬形圭造さん<2>趣味のハーモニカで施設を慰問
俳句づくりが趣味で、俳号は「凡寿留(ボンジュール)」さん。中学を卒業後すぐに働き始め、苦学の末、放射線技師の資格を取得し、職務を全うした苦労人だ。若い頃から苦労しているせいか、きょうだいの中で一番、…
-
鍬形圭造さん<1>趣味も断捨離 残ったのは俳句とハーモニカ
「凡寿留」と書いて、ボンジュールと読む。鍬形さんの趣味のひとつが俳句づくりで、「凡寿留」は俳号だ。最近の句を一首、紹介してもらった。 〈コロナ禍に道変えられて年の暮れ〉 今回、登場するに…
-
中村達也さん(仮名)<2>仕事三昧で奥さんはあきれ顔も…
日本では、同じ会社で定年まで一途に働くことが美徳とされていたが、欧米では、転職のたびに、給料、住宅とポジションがアップするのが普通のライフスタイルだ。中村さんも「そもそも就社ではなく、就職であるべき…
-
中村達也さん(仮名)<1>今も月~金で働く 生涯現役が目標
中村さんを取材して、正直なところ困った。 「定年後のさまざまな生き方」を切り取るのが取材の狙いだったが、中村さんにはそもそも「定年後」という既成概念がなかったのだ。 中村さんは現在78…
-
木村博人さん<2>古希の祝いの直後に心筋梗塞で緊急手術へ
59歳で、映画・テレビの世界から引退した木村さんは、神戸で港湾関係の仕事をしている知人から、東京の港湾会社を紹介された。 日大芸術学部在学中から、演劇や映像の華やかな世界にずっと身を置いてき…
-
木村博人さん<1>不思議な縁で三船敏郎さんから誘われて
5歳のときに、終戦を迎え、満州から引き揚げてきた木村さん。 「世相は暗かったが、私は焼け野原を駆け回って遊ぶような子どもでした」 中学は陸上部、高校は野球部と体を動かすことが大好きで…
-
萩原賢一さん<3>入院を嫌がる妻を最期まで自宅で介護した
79歳で胃がんが見つかり、入院した萩原さん。すでに、この時、奥さんの体調もよくなかった。 「もともと、女房は、若い頃から、健診のたびに、肺に影が見えるから気をつけるようにと言われていました。私…
-
萩原賢一さん<2>胃がんは乗り越えたが今度は妻が倒れた
60歳で萩原さんは定年を迎えた。 「定年になると、夫婦で国内旅行に出かけるようになりました。もともと2人とも旅行が好きで、結婚当初はよく旅行に出かけていました。ただ、義母から『旅行ばかり行って…
-
萩原賢一さん<1>60歳まで働きづめも苦に思ったことはない
女中や奉公人がいる裕福なゲタ屋の家に生まれた萩原さんだが、戦争ですべてが変わったという。 「学童疎開で長野に身を寄せ、終戦で東京に戻ると、一面の焼け野原。萩原家は何もかもを失い、埼玉県小川町に…
-
梶山桂さん<3>コロナで会社ピンチ 再び前線に立ち陣頭指揮
41歳のときに起業した適性検査の専門企業ヒューマンキャピタル研究所。梶山さんは64歳で一線から身を引くことにした。毎日出社するが、口は出さず、リタイア気分の会長職的日々を送ることにした。仕事一筋だっ…
-
梶山桂さん<2>会社が軌道に乗り12年間は悠々自適な会長職
梶山さんが30歳で立ち上げたリード・レックス社は、パソコン用データベース「DATABOX」の成功で、ベンチャー企業の雄とされたが、1990年代に入ると赤字続きで社員を3分の1にリストラ、会社も小さな…
-
梶山桂さん<1>30歳で独立、ITベンチャーの旗手になった
経営する会社を後進に任せ、悠々自適なリタイア気分の日々を過ごしていた梶山さんだったが、76歳になった今年、事態が急変した。新型コロナである。 「最初の兆候は今年2月、中国法人の売り上げが対前年…
-
加納誠さん<2>人材育成のため 現代の松下村塾を立ち上げた
物理学者の加納さんは、65歳で定年となったのを機に、環境物理学に専念するようになった。同時に活動の幅は多方面に広がっている。 「私は現在、東京理科大学の非常勤講師のほかに、さまざまな学協会の取…
-
加納誠さん<1>もうすぐ第二の定年を迎える物理学者の半生
今回登場の加納さんは東京理科大の助教授や山口東京理科大の教授を歴任した物理学者である。65歳で定年となり、教授から非常勤講師になったのを機に、足場を物性物理学から環境物理学に移している。話が、最近の…