あの選手にアシックスを履かせろ!
-
<11>50年以上の時を経て、再び東京五輪が行われ、日本代表の公式ウエアになるとは夢にも思わなかった
2020東京オリンピック・パラリンピック日本代表の公式ウエアはアシックスだ。キーカラーの「サンライズレッド」は朝日が昇る力強さをイメージしたと聞いた。 1964(昭和39)年の東京五輪。オニ…
-
<10>ロス五輪の競技直前、中村監督は瀬古利彦を迎えに帰国すると言い出した
五輪の男子マラソンで思い出すのは瀬古利彦だ。1976年、早大に入学。師匠は多くの長距離選手を世界へ送り出した中村清さんだ。自身も早大時代に箱根駅伝を走り、1936年ベルリン五輪(1500メートル)に…
-
<9>三村君は高橋尚子に嘘をついてソールの厚みが異なるシューズを渡した
「左右の高さが同じ、以前の靴に戻して欲しいです」 シドニー五輪の直前、高橋尚子からこう言われたシューズ職人の三村(仁司)君は悩んだ。高橋は左右の脚の長さが違う。普通のシューズではバランスが悪い…
-
<8>高橋尚子は五輪直前に左脚を故障、シューズに対する考えを変えた
1992年バルセロナ五輪。日本のマラソン陣は、男子が中山竹通、谷口浩美、森下広一、女子は山下佐知子、有森裕子、小鴨由水。男女とも金メダルを狙える実力者が揃った。この大会の優勝は男子が韓国の黄永祚、女…
-
<7>ロザ・モタは金メダルを獲得した夜に我々の皿洗いをした
1984(昭和59)年のロサンゼルス五輪で初めて採用された女子マラソン。このレースで3位になったのがポルトガルのロザ・モタだ。モタは86年欧州選手権で2度目の優勝を飾り、この時、2年後のソウル五輪で…
-
<6>世界バレー男女ベスト8の8割以上をオニツカで占めた
小島孝治監督のベッドの下で目が覚めた。 「監督、昨夜少しお話しした件でお願いがあります。この大会には世界中の選手が集まります。せっかくですから、うちのシューズを配りたいのです。この荷物です。ラ…
-
<5>世界バレーの会場に向かう前、ユニバーシアードの学生たちにシューズを提供した
1970年9月のバレーボール世界選手権(ブルガリア・ソフィア)に同行することになった。32歳にして初の海外出張だった。世界バレーの直前(8月下旬)、イタリア・トリノで「大学生の五輪」といわれるユニバ…
-
<4>「東洋の魔女」を口説くため、仕事が終わるとニチボー貝塚へ日参した
前回の東京五輪で国民を沸かせたのは、女子バレーボールの「東洋の魔女」たちだ。注目のソ連(現ロシア)との決勝戦は、視聴率(NHK)が66.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区平均)を記録。一時は85%ま…
-
<3>「裸足のアベベ」に特注靴を作るため採寸 足の裏を触ったら…
今の陸上長距離界は厚底シューズが大人気だが、1960年ローマ五輪のマラソンを制したのは裸足のアベベ・ビキラ(エチオピア)だった。 アベベは64年の東京五輪はプーマの靴で連覇を達成。2位のベイ…
-
<2>契約合意に至らなかったB.ジョンソンがソウル五輪で金メダルもどんでん返しが
カール・ルイスがミズノのスパイクで登場した1987年の世界陸上ローマ大会。注目の100メートルを9秒83の世界新記録で制したのは、ルイスではなくカナダのベン・ジョンソンだった。得意のロケットスタート…
-
<1>カール・ルイスとの契約放棄は人生最大の判断ミス
「大魚」を逃したことは、今でも痛恨の極みだ。 1980年代から90年代にかけて、「人類最速の男」の称号をほしいままにした陸上短距離のカール・ルイス。ロス五輪前年の83年、米国から仰天のファクス…