「東京幻想作品集」東京幻想著
スカイツリーや完成間もない新国立競技場から、東京や上野、新宿などの各主要駅まで、誰もが知る東京の名所を描いた作品集なのだが、ページを開いた読者は強烈な違和感を抱くことだろう。どのページも、そこに描かれているのは廃虚化した風景なのだ。
下町の商店街からは往時の賑わいは消え、道路は雑草に覆われ、建物の窓や壁、そして屋根をぶち抜いてさまざまな樹木が光を求めて競うかのように生い茂る。そのかなたには同じように植物に覆われたスカイツリーが横出しに倒れている。静まり返ったその下町に今まさに生まれたての朝日が昇ろうとしている。
東京駅は、爆撃にでもあったかのように崩れ落ち、レンガの壁だけがかろうじて原形をとどめ、その窓からは爆発光の名残のようなまばゆい光が外部に向かって放たれている。
多くの作品では、建物は風化するだけで大きく損なわれてはいない。
人間の気配はないが、鳥をはじめ、動物たちの姿も描かれているので、核兵器などが使われた戦争後というよりも、パンデミックなどによって人類だけが滅んだあとの風景にも見える。それが、つい先日までの東京の姿と重なってどこか不気味さも感じる。
しかし、作品の細部を見ていると、普段は人と車で埋め尽くされている新宿駅東口の交差点が田植えを終えたばかりの田んぼとなり、遠くには水牛の姿が見えるなど、人間の存在を感じられる作品もある。眼下まで海が迫った浜松町駅のホームのションベン小僧の噴水には虹がかかり、谷中銀座の「夕焼けだんだん」から見下ろした水浸しの街並みのかなたでは鯨が水面からジャンプして姿を見せる。
春の新国立競技場の風景を描いた作品では、シンボルツリーのような満開の桜が屋根から天に向かって大きく枝をひろげている。
建物は廃虚化しているが、作品には動物や植物たちのエネルギーが満ちており、廃虚から連想される負のメッセージは感じられない。それどころか清涼感さえ覚えてしまうのはなぜだろう。
そもそも著者がこうした作品を手掛けるきっかけとなったのは、アンコールワット遺跡群で見た「タプローム寺院」に衝撃を受けたからだという。
「若者で賑わう渋谷109がこんなふうに巨大な根っこで覆われていたらかっこいいのに」と、描き始めたそうだ。
その作品は、渋谷109をはさみY字路のように通る文化村通りと道玄坂が川と化し、近所のビルからはその川に向かって滝のように水が流れ落ちている。109も周囲のビルもお互いに樹木のツタや根が張り巡らされ、ひとつの有機体になろうとしているかのようだ。
タプローム寺院そのままに巨大な樹木の根に取り込まれた浅草の雷門を描いた作品もある。
他にも秋葉原や銀座、羽田空港、表参道など、誰もがよく知る東京のあり得るかもしれない未来の姿に想像力がかきたてられる。
(芸術新聞社 2500円+税)