「最後の湯田マタギ」黒田勝雄著
奥羽山系に囲まれた東北有数の豪雪地帯、岩手県和賀郡湯田町(現西和賀町)湯之沢に、1972年、国の集落再編事業で2つの地区が移住。その1つ長松地区は「シシ(熊)獲り」猟師の集団「マタギ」の里だった。
縁あって同地に通う著者が、77年から97年まで20年間かけて、彼らの熊獲りと人々の暮らしぶりを撮影した写真集。
冬、集落はすっぽりと雪に覆われる。屋根に上がって雪下ろしをする人の足元まで、雪が迫っている。家の中では、高橋仁右ェ門さんが間もなく始まる熊獲りのために、銃の手入れに余念がない。
長松では、マタギの頭領は世襲で「オシカリ」と呼ばれる。仁右ェ門さんはそのオシカリだ。熊獲りは10人ほどの集団で「巻狩り」という猟法で行われる。銃を持たない「勢子」たちが、「目当」の指示を受け、峰から峰へと声を張り上げながら熊を追い立てる。追い込まれた熊を「待場」で待機していた「待人」(射手)たちが仕留めるのだ。オシカリは「本待人」でもある。
冬眠から目覚めたツキノワグマは、食料を求め人家にも現れる。現在、熊獲りは春先の一時期「害鳥獣駆除」という名目で、許可が下りた時だけ行われる。
著者は、88年4月に念願かなって熊獲りに初めて同行。
足が不自由になったため、熊が峠を越えないよう遠巻きに行動する「よかろ」(居酒屋の屋号)さんと行動を共にするように命じられたが、根っからのマタギであるよかろさんについていくのが精いっぱいで、気を許すとすぐに姿を見失ってしまったという。
雪が残る山奥の道なき道を分け入って進むそんなマタギたちの仕事ぶりをカメラは丹念に記録。モノクロの作品が熊獲りの緊張感を伝える。
91年、3度目の同行時に初めて熊が獲れた。無線で知らせを受けて本隊に合流すると、地面に真っ黒い熊が横たわっていた。
勢子は熊の足裏を見て、どのくらい歩いていたのかを調べていた。
里に持ち帰った熊は、山の神への祈りをささげた後に解体され、参加した全員、その日参加した著者にも平等に分配されたという。
高価な胆のうも、オシカリの家で時間をかけて乾燥させ、平等に分けられる。
猟に出ない日、仁右ェ門さんは、家族と共にかつて住んでいた長松に通い、先祖伝来の田畑を耕す。長松に今も残る一家が住んでいた家は、ゆっくりと自然にかえろうとしている。
再び冬がやってきた。山の神は旧暦12月12日に年をとるといわれ、地区の人々にはこの日が正月となる。神社に集まった男たちは、ふんどしひとつで雪の中を走り沢に入って禊をする。水垢離だ。
翌日には、「毘沙門さま」と呼ばれる女性だけの祭りが催される。
熊獲りから、マタギの里の日常、そして風俗まで地元に溶け込み、時間をかけて撮影された貴重な記録だ。
(藤原書店 2800円+税)