「計算する生命」森田真生著
古代メソポタミアでは、「トークン」という粘土片が数量を把握し記録するのに使われていたという。しかし、それは異なる形状のトークンが管理する内容物を示すだけで、具体的な1と2といった数量を表すのではなかった。中身の量の多寡を区別する数字が発明されるにはさらに長い時間が必要だった。
なぜか。数えたり計算したりする能力は人類に生得的なものではなく、かなりな力業を必要とし少なからぬ困難を伴う。となれば、世に数学嫌いが多いのもむべなるかな、である。
しかし、現代世界は数字や計算で覆われている。新型コロナウイルスの感染においても、数理モデルをもとに患者の隔離や都市封鎖が行われているのは周知の通り。本書は生得的でなかった「計算」という営みに人間はどうやって生命を吹き込んできたのかの歴史をたどり直しつつ、数学的思考が人間の認知能力をいかに拡張してきたかを考察したもの。
今では信じられないが、当初の代数学の問題は「私は十を二つに分けて、そのうち一つにもう一つを懸けると結果は二十一になった」というようにすべて言葉で書かれていた。これを式に直せば、x(10―x)=21となる。また幾何学も伝統的に定規とコンパスで描ける図の「意味」に縛られており、図形を方程式で表すことで意味から解放したのがデカルトであった。
さらに19世紀になると、数学の諸概念を厳密に確立し直していく動きが強まり、それまでの直観を排除して定義していく試行錯誤が始まる。そうした動きから出てきたのが、リーマン積分、リーマン面、リーマン多様体という現代数学に不可欠な概念を生み出したリーマンであり、数学的思考の本質を直観ではなく論理として洗練された論理言語を追求したフレーゲだ。そしてこれらの動きはカントやウィトゲンシュタインといった哲学者たちとも協働していく。
現代のコンピューターやAIはそうした歴史が生み出したものである。では今後それはどこへ向かうのか。本書の終章に一つの答えがある。 <狸>
(新潮社 1870円)