「虫たちの日本中世史」植木朝子著
世界を覆う腐海から瘴気(しょうき)が立ち上りマスクなしでは生きられない――コロナ禍の現在を予見したとして「風の谷のナウシカ」、ことに文明が崩壊した後の世界観がより強く打ち出されたマンガ版の再評価が高まっている。主人公のナウシカのモデルのひとりとされているのが中世の物語集「堤中納言物語」の一編「虫めづる姫君」の姫君だ。化粧もせずに虫の収集と観察に余念のない姫君は当時でも風変わりと見られていたようだ。
本書は「虫めづる姫君」と同時代に編まれた「梁塵秘抄」を出発点として、中世の人々と虫との関わりを描いたもの。「梁塵秘抄」は当時の流行歌「今様」を集成したもので、「蛍こそ消えぬ火はともせ……」「居よ居よ蜻蛉よ……」など虫を詠み込んだ歌も多い。たとえば「舞へ舞へ蝸牛……」の歌はその後に、舞わないのなら馬や牛の子に蹴らせて踏み潰してしまうと続く。
童謡の「でんでんむしむしかたつむり つのだせやりだせ」はここから来ていることがわかる。面白いのは、日本だけでなくイギリス、ロシア、朝鮮にもカタツムリを脅して何かをやらせる歌があるという。また、虫めづる姫君は太政大臣藤原宗輔の娘がモデルだとされていて、宗輔自身、飼っている蜂に名前を付けて家来を叱るときに、蜂の名を呼んで「誰々を刺してこい」と命じたというから、相当な変わり者。この親にしてこの娘ありである。
本書に登場するのは、カマキリ、カタツムリ、ハチ、シラミ、ムカデ、カ、キリギリス、コオロギ、イナゴ、チョウ、ホタル、トンボ、クモ等々の面々。ややこしいのは、現在キリギリスという名の虫は中世では機織虫と呼ばれ、キリギリスとあるのは現在のコオロギであること。ともあれ、古い筆がコオロギに化身したり、くしゃみするトンボなど民俗学的伝承から、蟷螂舞や蜘蛛舞など芸能と虫の関係など多様な視点から、中世期の虫と人間の実に豊かな関係がひもとかれていく。対して、現代の我々はなんと虫を遠ざけた生活をしていることかと、思わず嘆息。 <狸>
(ミネルヴァ書房 3300円)