「悪口ってなんだろう」和泉悠著/ちくまプリマー新書
哲学者が身近な例で解説する「あるある」
「悪口ってなんだろう」和泉悠著/ちくまプリマー新書
言語哲学、意味論の専門家による一冊。基本線は「悪口はどうして悪いのか」「どこからどこまでが悪口なのか」「悪口はどうして面白いのか」の3つを解き明かしていく。
哲学者による文章、しかも西洋の哲学者の難解な文章の引用が並ぶのかと身構えるかもしれないが、全然そんなことはない。冒頭で挙げた命題3つをユーモアと一般人にとって「あるある(笑)」と言いたくなる身近な例で解説する。
悪口であることを満たす要件に「悪意がある」との考えもあるだろうが、著者はこう否定する。
〈いじめの加害者の中には本当に自分がいじめているという自覚がない人がいるでしょう。「うざっ」や「きもっ」などと言うとしても、「いじめ」ではなく「いじっているだけ」、なんだったら喜ばせている、と考えているかもしれません。そのような場合、発言をする側に悪意はありませんが、私たちは悪口を言っていると考えます。つまり、悪口を言うために悪意を持っている必要はないのです〉
「うざっ」「きもっ」には一般的には良い意味合いはないのだ。あとは、足が遅い人を「なめくじ」と悪口で呼ぶことはあるが、なめくじよりもゆっくり動くオーストラリア大陸を持ち出し「オーストラリア大陸か!」と呼ぶことはないとも指摘。著者は悪口の成立要因を「上か下か」にもあると指摘。ナメクジは人間よりも下等生物と見られているから悪口として成立し、オーストラリア大陸のことを、自分より上か下かなどと考えることはないから悪口として成立しないのだと説明する。
もう一つ重要なのが言葉を交わす者同士の関係性だ。アメリカ留学経験のある著者が本書に書いた話は、高校時代をアメリカで過ごした私にもピンときた。全体の20%ほどである黒人生徒同士が廊下ですれ違う時、笑いながらハイタッチをし、「Yo, nigger, what’s up man!」(このニガー、調子はどうだい?)「Not much man, yo nigro!」(パッとしねぇな、このニグロ野郎)とやっていた。
これを真に受けて黒人以外が黒人に対してこんなことを言ってはならない。あくまでも「仲が良い黒人の男子生徒同士」だから成立する会話で、これは悪口ではない。黒人以外が言えば悪口を越えた「差別」だ。
このように「悪口」から人間関係のあり様にも踏み込む軽快ながら深い本である。
★★半(選者・中川淳一郎)