中原理恵 人気の「欽ドン」をわずか1年で降板
81年末、女性誌の取材で「私は歌手。もう一度ヒットが欲しい」と歌手復帰宣言。ギャグも行き詰まりを見せ始め、番組のマンネリ化を嫌う萩本との不仲も伝えられ、降板情報がマスコミを賑わすようになる。テレビ出演の収入に不満の所属事務所が、本業の歌に専念させる方針という情報もあった。最終的に中原の進退は萩本に一任されることになった。
萩本は「このままでは理恵は歌手に戻れなくなる」「お笑いは新鮮さが勝負。飽きられたらオシマイ。この辺で理恵ちゃんに休養してもらって充電してもらおうかなあ」と中原の降板を決めた。
歌手に復帰した中原だが、セールスを伸ばすことはできず。欽ドンにはゲスト出演したが、コメディエンヌへの本格復帰はなく、84年には高橋幸宏がA面全曲をプロデュースしたアルバム「LADY麗(REI)―RIE―」をリリース。このアルバム制作をキッカケに高橋と急接近、六本木や赤坂でのデートが目撃されるようになった。
高橋には当時、実業家の娘でフラワーデザイナーの妻がいたが、84年末に別居し、中原との不倫交際が始まった。高橋は87年7月に離婚し、中原と同棲を始め、当初「結婚なんかしなくてもいいの」と割り切っていた中原も「一度は花嫁姿になってみたい」と思うようになり、2人の結婚は秒読みと思われていた。