藤圭子「女のブルース」を歌い継ぐ一条聖矢「訃報は録音翌日」
高校は芸能人が多いことで知られる明大中野高校。同級生にはシブがき隊の布川敏和や振付師のパパイヤ鈴木などがいたという。在学中、堤大二郎の事務所に入り、歌とダンスのレッスンに励んだ。ところが、なかなか芽が出ず、いったんは芸能界を諦めた。その後は、昼は建設業、夜はホストクラブという生活を続けていた。
そんな時、椿山荘の前で建設作業中、目に飛び込んできたのが「にしきのあきら(現・錦野旦)ディナーショー」の看板。チケットを買って見に入り、衝撃を受けた。
「師匠(錦野)のあまりのカッコ良さに<俺ももう一度、芸能界で勝負したい>と思ったのです。翌日から師匠の事務所通い。もちろん、本人に会えるはずもなく、社員の方に<事務所に入れてください>と言っても全然取り合ってもらえません。それでもめげずに半年ぐらい事務所の前に立っていたら、<じゃあ、会わせてあげるよ>と言ってくれて、師匠に会うことができました」
緊張の一瞬。ガチガチで何もしゃべれなかったが、錦野の方から「本気でやる気があるのか」と声をかけてくれて、「ハイッ」と言うのが精いっぱい。