浅香光代<上>さらしに裾を切ったブルマー…裸同然で舞台に
もちろん 突然の抜擢は摩擦も生んだ。他の役者からの反発があり、結局、浅香さんはこの一座を離脱、自ら剣劇の劇団を立ち上げる。
しかし、時期が悪かった。
女性が主役を務める女剣劇にはエロチックな要素が含まれている。つまり、少なくない観客が立ち回りで崩れた胸元や、乱れた裾から太ももがちらつくのを楽しみにしていたのだ。そんなささやかな露出を戦後の新しい風俗、ストリップが時代遅れなものにした。
多くの一座は、単独公演を開くことが出来ず、演芸場やストリップ劇場の演目のひとつとして舞台に立っていた。
転機となったのは、川崎市の鶴見劇場での公演だった。
浅香さんは、見せ場である大見えを切る場面で、さらしを緩めに巻いて落ちるように細工し、その下は裾を短く切ったブルマーのみ。つまり舞台の最も盛り上がる場面で裸同然の姿になったのだ。
浅香さんはこう振り返る。
「その頃は、まだ男性とお付き合いもしたことがなかった。変な話、生理が来たのが17歳。その前だったんだから」