笑福亭仁鶴師匠はかなりの読書家だった 喉の手術は23回も
1960年代後半から70年代、仁鶴師匠をテレビ・ラジオで見聞きしない日はないぐらい、毎日のように出演し、私(62)の年代の者にとっては文字通りアイドルでありヒーローでした。
■政治関係まで目を通す読書家
30年近く前の劇場は、広い楽屋は2組で使われることが多く、長年漫才を書かせていただいている阪神・巨人さんと仁鶴師匠が同じ楽屋になることが度々ありました。漫才の打ち合わせに伺った時にご挨拶をし、そのたびに「巨人君とこのネタ書いてんの、頑張りや」とか「よう来んなぁ~」とか声をかけていただく機会が増えていきました。読書家でもあった師匠の楽屋のテーブルには常にさまざまなジャンルの雑誌や本が置かれていました。
ある日、政治関係の雑誌があったので「僕も(その本)読んでます」と言うと、「自分(君)も読んでんのん? 初めて(読んでる人に)会うたな~、ほんまかいな」とその日を境に一気に距離が縮まり、阪神・巨人さんがいない時も楽屋に伺うと「まぁ座りいな」と芸談や世相について話すようになりました。