市川中車「完全復帰の舞台」とはならず…過剰演技に猿之助の代役・中村壱太郎が引きずられ“夫婦漫才”状態に
権太は相手やシチュエーションによって人格が瞬時に変わる。仁左衛門はキャラクターを演じ分けるのではなく、あくまでひとりの男が、愛想よくなったり悪辣になったり、甘えん坊になったり、ずる賢くなる、その変化を見せる。丁寧なので、いつになく、分かりやすい。
■尾上松緑はもう少し身体を絞るべき
尾上松緑の「川連法眼館」は、音羽屋のひとりとして、持ち役にしたいのは分かるが、これでは無理。團十郎や猿之助による、三代目猿之助(猿翁)のアクロバティックな型で見る機会が多かったせいもあるが、松緑の身のこなしが重いので、興ざめしてしまう。
宙乗りをしろとは言わないが、もう少し身体を絞って取り組むべきではないか。キツネがタヌキにしか見えない。年長の菊五郎のほうが、もっと軽やかに演じていた。だからこそ、切なさが出る役なのに。
「傾城反魂香」も六代目菊五郎の型と、初代猿之助の型とがあり、今回の中車は猿之助型。同じ演目でも役者の家によって、だいぶ違うことが分かる月だ。
今月は市川左團次が出るはずだったが、亡くなったので、演目ごと替わってしまった。この名優の死を悼む機会がないのは、どういうことだろう。
(中川右介/作家)