1981年は「音楽家・沢田研二」として創作の質を深めていった1年でもある
1981年の沢田研二②
この年のシングルは、5月の「渚のラブレター」と9月の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の2枚。オリジナルアルバムは6月の「S/T/R/I/P/P/E/R」の1枚だけとなる。
シングル4枚、アルバム3枚をリリースした前年に比べてペースダウン。額面上は少々地味な印象を受ける。
1981年について特筆すべきは、まずシングル2枚とも沢田研二自身の作曲ということだ。
作曲活動はこのとき突然始まったものではない。72年の段階で全曲の作曲、さらには作詞まで担当した「JULIE Ⅳ 今僕は倖せです」というアルバムをリリースしているぐらいだから、実は年季が入っていた。
シングル2曲の編曲は伊藤銀次であり、アルバム「G.S.I LOVE YOU」の成功の流れをくんだものとなっている。
この年に関して、もうひとつ、さらに特筆すべき出来事がある。それは新バックバンド「エキゾティクス」の結成だ。
メンバーは、前のバックバンド=オールウェイズのメンバーである吉田建(ベース)、柴山和彦(ギター)、西平彰(キーボード)に加えて、新しく加入した上原裕(ドラムス=名前は当時「豊」と表記)、安田尚哉(ギター)という5人組。