1980年1月1日「TOKIO」発売 パラシュートを背負って80年代を連れてきた
1980年の沢田研二①
1980年になった。
70年代から80年代へ。字面上は「7」が「8」になっただけのことだが、しかし、当時を知る者として、その変化は劇的だった。
「長髪」から「短髪」へ、「かっこいい」から「かわいい」へ、「フォーク」から「ニューミュージック」、そして「ロック」へ。まさに大きなパラダイムチェンジ。
そんな劇的変化に臆することなく、むしろ先頭となって80年代に乗り込み、当時「ニューウエーブ」と呼ばれた、まさに新しい波を自ら主導して巻き起こしたのが、沢田研二だった。
ここで、しばらく本連載の頻出語となる「ニューウエーブ」について説明しておこう。機械的、無機的、(重厚長大の対義語としての)軽薄短小な価値観をめでるムーブメント、くらいの意味なのだが、これ、つまりは「1980年の沢田研二」そのものだと解釈してもらっていいだろう。
シングルリリースは、おおよそ3カ月おき。上半期は「作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦、編曲・後藤次利」によるニューウエーブ歌謡2曲。