1981年は「音楽家・沢田研二」として創作の質を深めていった1年でもある
「上原裕」という名前には、見覚えのある音楽ファンも多いだろう。山下達郎がリードボーカルのバンド「シュガー・ベイブ」にもいた人で、さらにその前は、伊藤銀次と一緒に「ごまのはえ」というバンドのメンバーだった。
ちなみに、山下達郎の有名曲「BOMBER」(78年)における圧倒的なドラムスは上原裕によるものだ。そんな彼のタイトなドラムスが、80年代前半の沢田研二の音楽活動に躍動感を与えていくこととなる。
なお、シングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」のジャケットは、上に大きく「JULIE&EXOTICS」と書かれており、いわゆる「バックバンド」というより、沢田研二も含めた一体型で運営していこうという意思が確認できる。
そしてこの年の11月には、ザ・タイガースの再結成プロジェクトが始動(先立って1月に開催された「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」にザ・タイガースとして参加)。シングル「十年ロマンス」をリリース。こちらの作曲も沢田研二--と、一見、前年よりも地味ながら、1人の音楽家として、創作の質を深めていった1年だといえるだろう。