沢田研二
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「全音下げ」編曲オーダーを伊藤銀次が失念…でもキーを下げないでくれて本当に良かった!
シングル「渚のラブレター」についても、レコーディングの詳細は、編曲を担当した伊藤銀次著「伊藤銀次自伝MY LIFE,POP LIFE」(シンコーミュージック・エンタテイメント)に詳しい。内容をかいつまんでまとめてみると──。 ...
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この曲のおかげで私はギターが弾けるようになった
たまには、あの頃の自分の話でも──。1981年は中学3年生。「渚のラブレター」が発売された5月は、校内暴力に息を潜めながら「そろそろ受験勉強せんといかんなぁ」などと思っていた頃だ。 でも、勉強なんかより大事だったのはフォーク...
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「渚のラブレター」はとにかくブルー基調のジャケットが美しい
主演として天草四郎時貞を演じた映画「魔界転生」の撮影などもあり、少しブランクがあいた。 前作「おまえがパラダイス」からほぼ4カ月が経った5月1日の発売。オリコン最高8位、売上枚数23.9万枚。前作に比べて約10万枚、セールス...
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1981年は「音楽家・沢田研二」として創作の質を深めていった1年でもある
この年のシングルは、5月の「渚のラブレター」と9月の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の2枚。オリジナルアルバムは6月の「S/T/R/I/P/P/E/R」の1枚だけとなる。 シングル4枚、アルバム3枚をリリースした前年に比べてペース...
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1981年とは、70年代に息を潜めていた同世代が時代を席巻し始めた年なのだ
1981年がやって来た。今から43年前は、どんな年だったのか。 この年、もっとも売れたシングルは寺尾聰「ルビーの指環」。もっとも売れたアルバムも寺尾聰「Reflections」。日本レコード大賞も寺尾聰「ルビーの指環」──。...
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「沢田研二×(伊藤銀次+佐野元春)」という過激で無茶な掛け算が“最強値”の解答を叩き出した
このアルバムを痛快なものにしているのは、コンセプトがはっきりしているからだと思う。 まずはタイトルからして「G.S. I LOVE YOU」とはっきり。しつこいながらも補足しておけば、「GS」とは、沢田研二のいたザ・タイガー...
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「彼女はデリケート」レコーディング…佐野元春の若き才能が沢田研二に火を点けた
A面の3曲目に収められた佐野元春の作詞・作曲「彼女はデリケート」のレコーディング時のエピソードは格別だ。伊藤銀次は自著「伊藤銀次自伝MY LIFE, POP LIFE」(シンコーミュージック・エンタテイメント)でこう語っている。 ...
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新しい才能を世に送り出した先駆かつ最大の成功例
このアルバムで作詞を多く任されたのは、三浦徳子だ。シングルカットされた「おまえがパラダイス」を含め、12曲中7曲と半分以上が彼女の作品によるもの。 1980年の三浦徳子といえば、松田聖子「青い珊瑚礁」をヒットさせて乗りに乗っ...
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ジャケットには英語で重要な文言 60年代のモチーフを使い新たな創造に成功している
いよいよ、アルバム「G.S.I LOVE YOU」に入る。 「いよいよ」と盛り上がっているのは、私が個人的にかなり好きな作品だから。もしかしたら、今回の「1980-85」という期間設定の中で、いちばん好きなアルバムかもしれない...
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大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
ここでまた立ち止まり、なぜ「1980-1985」という期間設定なのかについて、説明しておきたい。 当連載で扱うのは、80年代前半の沢田研二。シングルでは1980年の「TOKIO」から85年の「灰とダイヤモンド」まで。アルバム...
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「髪グチャグチャかきむしり」はハートビートに乗った自然なパフォーマンスだった
この曲の当時のパフォーマンスを確かめるべく、動画サイトを確認した。注目点は「髪のかきむしり方」である。これ、何か? 実は、前回説明した「ロッカバラード」のリズムに乗りながら、バックバンド=オールウェイズのギタリスト・柴山和彦...
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「洋楽やりたいねん!」の原点とスピリット
楽曲「おまえがパラダイス」について興味深いのは、同日発売の「G.S. I LOVE YOU」という、タイトルからして「GS」に向けられたアルバムに収録されているにもかかわらず、楽曲そのものがまったくグループサウンズ(GS)的ではない...
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この曲の物語は佐野元春から始まる…そしてスタッフの慧眼をつくづく思い知らされる
このシングルの編曲者・伊藤銀次×沢田研二の物語は、佐野元春から始まる。 佐野元春のファーストアルバム「BACK TO THE STREET」は1980年の4月21日発売。収録10曲のうち、比較的ビート系/パンク系の4曲を編曲...
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当時の最新録音技術で60年代風ローファイ・サウンド…凝ってるし、倒錯してるわぁ
早いもので、TOKIOが空を飛び、聖子ちゃんとトシちゃんがデビュー、B&Bやツービートが早口でまくし立てた1980年も、もう年末だ。 そして、沢田研二が紅白歌合戦で「TOKIO」を歌う8日前。12月23日にアルバム「G.S....
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「酒場」の上で回るのはミラーボールではなく、赤ちょうちんのような気が…
作詞は阿久悠さまの復活だ。沢田研二のシングルを書くのは、前年1979年5月発売の「OH!ギャル」以来。そう、糸井重里から、その啓蒙性を批判されたあの曲である。 実は阿久悠、79年から80年にかけての半年間「休筆」している。当...
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躍動するディスコ・ビートがなかなかに聴かせる
当時の記憶を掘り起こしてみると、「TOKIO」や「恋のバッド・チューニング」に比べて、インパクトはさすがに薄かったように思う。しかし「ダバダ ディディ ダバダ ディダ」というリフレインは、ちょっと盛り上がったとも記憶するのだ。 ...
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(47)寅さんのアットホームな雰囲気の中で、ジュリーと田中裕子は急接近した
──「男はつらいよ」にはミュージシャンが何人も出演しているが、共演者と結婚したビッグカップルが2組いる。30作「花も嵐も寅次郎」(1982年)の沢田研二と田中裕子、37作「幸福の青い鳥」(86年)の長渕剛と志穂美悦子。 ──...
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沢田研二の“胃潰瘍の功名”でアルバムのロック感・ニューウェーブ感を高まった
収録曲は全10曲。目を引くのが「恋のバッド・チューニング」「みんないい娘」「お月さん万才!」の3曲以外、計7曲を演奏しているバンドである。 バンド名のクレジットは「ALWAYS」(オールウェイズ)。 メンバーに並ぶの...
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アルバムジャケットに細かい工夫を施すセンスはキレッキレ
このあたりのアルバムはすべて、私はLPで持っている。 アルバム「TOKIO」のときと同じような話になって恐縮だが、ジャケットにほれぼれしてしまう。LPサイズで見ているから、なおのことだ。ぜひ中古レコード店で探し出して、沢田研...
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歌詞のキワモノ・悪趣味・下世話な魅力はもっと再評価されていい
この曲の魅力について、先に「キワモノ」「悪趣味」という言葉を使ってきた。もちろん、褒め言葉として。もうひとつ加えるなら「下世話」という言葉も似つかわしい。特に糸井重里の歌詞について。 「TOKIOが空を飛ぶ」という歌詞は奇想天...
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イントロ、メロディーそしてボーカル…すべて「TOKIO」よりはじけたニューウェーブ
「うるせえよ!」 漫才コンビ・錦鯉の向かって右側の渡辺が、左の長谷川をつっこむように、私はこの曲を聴いた後、沢田研二の頭をポンと叩きたくなる。 さらに付け加える──「キワモノなんだよ、悪趣味なんだよ!」。さらに、さらに...
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「恋のバッド・チューニング」は記録より記憶に残る“純粋なるキワモノ”
元日発売の「TOKIO」から約3カ月半後に発売。ちなみに、その直前の4月1日には、松田聖子が「裸足の季節」でデビューしている。歌謡界のパラダイムチェンジが少しずつ進んでいる。 売上枚数は17.2万枚と「TOKIO」の約半分に...
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沢田研二は「いたずら心みたいな感じで」80年代の扉を蹴り上げた
ここで1980年の沢田研二を再度概観する。「TOKIO」の前作シングルは、79年9月発売の「ロンリー・ウルフ」。地味な作品で売上枚数8.9万枚、オリコン最高位は18位にとどまった(ちなみに、さらにその前作「OH!ギャル」は最高5位)...
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アルバム「TOKIO」は編曲こそ派手派手だが、身ぐるみを剥がすと70年代が現れる
このアルバムの全曲の編曲を担当したのが、後藤次利だ。 加藤和彦、高橋幸宏、高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンドのベーシストとして、イギリス公演に参加。そのはじけるようなチョッパー(スラップ)ベースで、ロンドンのロック...
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アルバム「TOKIO」は、歌謡界から早々と新たな潮流に照準を合わせていた
さて、ここで1979年の暮れに少しだけ時間を巻き戻す。このアルバムはタイトル通り、すでにご紹介した翌80年元日発売のシングル「TOKIO」が収録されたものである(ただし、アルバムに収録されているのはシングルよりも長いバージョン)。 ...
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本人の感性を追い越すようなスピードで賽は投げられた
これまで4回に分けてシングル「TOKIO」のサウンドと歌詞について見てきた。では、曲そのものではなく、曲に対する沢田研二の当時の気分はどのようなものだったのか。 ひとつの手がかりがある。島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、...
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いろんな意味で「TOKIO」をヤバい曲にしたのは沢田研二の甘過ぎる歌声だ
きょうから再度、シングル「TOKIO」の話に戻りたい。語っても語っても語りきれない一曲なのである。何といっても「沢田研二の音楽1980-85」を象徴する一曲なのだから。 ここまで、1980年元日発売という事実の時代的意味、後...
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「人間・沢田研二」もええけど、音楽論も、もっとちゃんと語ったれや
さて、この連載は1980年から85年の計6年間に、沢田研二が残したすべてのアルバム、すべてのシングルを論評し、さらには、同期間に再結成されたザ・タイガースの作品も併せて見ていくものである。 ここでいったん立ち止まって前提を確...
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外国のマネだけではダメなんじゃないか…糸井重里が「TOKIO」の歌詞に込めた思い
「空を飛ぶ 街が飛ぶ」「スーパー・シティーが舞いあがる」「TOKIOが空を飛ぶ」──糸井重里による歌詞は、とにかくぶっ飛んでいる。 そもそも「TOKIO」とは何なのか? 「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)の中で、糸井本人は「もう...
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「TOKIO」はイントロの25秒で80年代をグッと引き寄せた
オリコン最高8位。この曲が意外に低いセールス記録以上に記憶に残るのは、巨大パラシュートを背負う奇抜なファッションもさることながら、イントロが大きく奏功した結果だと考える。「TOKIO」のイントロは、それくらい画期的なものだった。 ...