小林幸子さんは農業支援、子供食堂支援「死ぬまで続けたい」 大学や相撲部屋も賛同して米作り
東京農大、立浪部屋も賛同して米作り
旧・山古志村で田んぼを与えられたのは、2004年に起きた中越地震がきっかけです。あれからちょうど20年。山古志地域の「小林幸子田」で作った新米を「復興米」「幸子米」として3.11(11年)の東日本大震災、16年の熊本地震で被災した人にも届けてきました。元日に起きた能登半島地震の被災地にも、現地がどんな状況かを見ながら届けられればと思っています。
能登は地震の規模も大きくて、それでなくても復興には時間がかかるのに、その後、豪雨にも見舞われ、本当に気の毒になります。本来なら現地で歌って被災者に元気になってほしいけど、今は地盤や家、水道などの復興を見守りながら、コロッケさん、大黒摩季さんといったみなさんとチャリティーライブやフェスティバルなどで寄付や基金を募っています。
新潟は農業県です。過疎化と後継者不足が深刻です。農業は3Kの厳しい職業と思っている人もまだ多いと思います。でも、最近は新しい機材とかドローンを使ったやり方もあるんです。田植えなんて大きな船みたいな機械でやっている。パンプスを履いてでもやれます、みたいな感じに変わってきました。そういうところも見てもらいたいですね。
一方で、旧・山古志村は棚田なので大きな機械が入りません。私たちは軽トラックで行って、手で苗を植え、稲刈りをし、刈ったのをはざ掛けし、天日干しして脱穀するのを何年も続けています。今年は東京農大(東京農業大学)の江口(文陽)学長はじめ、学生さんが農業支援の一環として協力、参加して田植えを実際に体験してくれました。これからも農業支援の輪をもっと広げていきたいですね。
そして、米作りと密接に結びついているのが子供食堂です。十日町の田んぼには子供食堂に通う子供たちもやって来て田植えや稲刈りを体験しました。お米はどうやって作られているかを学ぶのに役立ってくれたらと思っています。
大関豊昇龍がいる立浪部屋は私たちの農業支援に賛同し、新潟で「立浪部屋ファーム」を始めました。そこにも子供食堂をやっている人や子供たちが見に行ったり、田植えとか稲刈りを経験させてほしいというので交流が続いています。
子供食堂はいろいろと課題もあるんですよ。シングルマザーの半数以上は国の援助がないと生きていくことができなかったりする。でも、そんな子供食堂の実情は知られているようで意外と知らないことが多い。ごはんを食べることができなくて大変、他にも事情がある、また障害者のみを対象にしているなど子供食堂もいろいろです。そもそも多くの人がどこにあるのかわかっていないことも多い。そういうことを正しく普及させていくことも大切です。
縁あって出会いました子供食堂をされている方はボランティアの人たちです。自宅を開放して食堂にし、近所の八百屋さんとかお店屋さんが食材を持ってきたり、ボランティアのみんなで持ち寄りでおにぎりを握ったりしています。
そういう実情をわかってもらうためにマスコミの方にも来ていただき、子供たちと一緒におにぎりを食べて、子供食堂のことを書いてもらいたいと思っています。それを広めるのは本来は国とか役所の仕事ですが、私たち歌手やタレントが発信することで広まるのが早いこともあります。そのためにもみんなと奮闘しているんです。