ユーゴ代表時代を知る日本人が語る「命懸けのプレー」
旧ユーゴから独立して以来、初の国際大会に出場したボスニア・ヘルツェゴビナは26日(日本時間)のイラン戦で歴史的初勝利を挙げた。それでも、民族紛争の傷痕が深く残る国民は、一丸となって代表チームを応援していたわけではないのだ。
■鹿島アントラーズの現監督も…
強豪国の選手の中には、グループリーグで敗退すれば「命を狙われる」といって、帰国を恐れる者もいる。
実際、94年米国大会では悲劇が起きた。今大会、日本が1-4で敗れたコロンビアは熱狂的なサポーターが多い。当時の代表チームは、CBアンドレス・エスコバル(当時27)のオウンゴールによって米国戦を落とし、決勝トーナメントに進めなかった。エスコバルは帰国すると銃撃を受けて帰らぬ人となった。この事件は、サッカーファンならずとも大きな衝撃を受けた。これが“エスコパルの悲劇”だ。
82年スペイン大会ではブラジルのトニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)が、2次リーグのイタリア戦で不用意なパスをカットされて失点し、敗退。帰国後はファンやメディアに厳しく批判された。通常の精神状態、生活に戻れるまで「かなりの時間が必要だった」といった。
敗戦を恨んでの殺人事件など肯定しないが、アルゼンチンやブラジルのようなサッカー大国の選手たちは、W杯での優勝を義務付けられている。日本人には想像もできない重圧の中で戦っているのだ。