監督のまま亡くなられた上甲さんはある意味では理想です

「あの試合を境に、智弁和歌山は甲子園で機運に乗って、結果を出すようになった」
上甲正典監督(享年67)に後年、そう言われたのが1994年のセンバツの準々決勝です。4点差から終盤にひっくり返してウチが勝つわけですが、今思えば「よう勝てたなあ」という試合でした。
九回…
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