森保Jの絶対的守護神・権田修一“強靱メンタル”の原風景 「プロGK育成の名人」に聞いた
浅野寛文(元FC東京育成部 現中央学院高コーチ)
サッカー日本代表の正ゴールキーパー(GK)権田修一(33=清水)を育てた「育成の名人」がいる。10年以上にわたり、FC東京の育成組織で指導し、現在は一般企業で働きながら、週末に中央学院高(千葉)でコーチを務める浅野寛文氏(53)である。
これまで11人のGKのプロ選手を育てた名コーチに、日本代表の守護神に上り詰めた男の「原風景」を聞いた。
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■小学生GKのジュニアユース争奪戦
──権田との出会い。第一印象は?
「小学6年の時、こちらから誘って、FC東京ジュニアユースの練習会に参加してもらったのが最初です。小6で身長が176センチもあって、他の子より頭一つデカかったのが第一印象。まずはサイズですね。これからどこまで伸びるのかなと。我々の頃はうまければ代表に入れたけど、今は身長が低いだけではじかれちゃう。だから、長身のGKが欲しかったんです」
──ただ、176センチで成長が止まってしまうかもしれない。小学生が今後、伸びるかはどう判断する?
「練習会にバスケットボールをされていたお父さん(慶大バスケットボール部元監督=180センチほど)とお母さん(170センチ超)も来ていて、このご両親なら、これからもっと大きくなると思いました(権田は現在187センチ)」
──FC東京の方から誘った?
「川崎市のさぎぬまSCに所属していて、当時は神奈川県選抜だったのかな。その前にFC東京のスクールに入っていたみたいで、スクールのコーチから『キーパーなんだけど、足元(キック)がうまくて、とてもキーパーには見えない子がいるよ』という話を聞いていました。それで練習会に参加してもらったんです」
──かなり目立つGKだった。
「中学入学時に(横浜F)マリノス、(川崎)フロンターレ、(湘南)ベルマーレのジュニアユースから声が掛かっていて、争奪戦になりました。大きいし、足元もうまいし、どこにいっても褒められていたようです。ただ、私はあえて褒めませんでした。期待を込めてというのもありました」
──それでも権田は「浅野コーチとやれば、こんなにうまくなれる」とFC東京U-15に決めたとか。
「それはうれしいですね。一緒に練習した中学生のGKが、難しいボールを簡単にキャッチングしていたのを見て、権田はそう感じたのでしょう。ただ、好きでやっているだけという感じで、基本を含めて、まだこれからというレベルでしたけど」
──浅野コーチは11人のGKをプロに送り込んでいる。中学時代に何を教えた?
「権田に限らず、私が教える子には、『基本と原則』を徹底させます。常に1回でボールをつかむことを意識して、こぼさないこと。今は、はじくことが普通になっているけど、しっかりキャッチして終えること。最初から安易にパンチングで逃げるのはやめようと言っています」
──できるようにするための練習は?
「中学1年の導入段階では、5本の指を使って1本ずつボールに触る感覚が養えるバレーボールのトス練習をやります。今のGKグローブは性能が良くなったので、技術ではなく、グローブで捕っていると感じることがある。だから、技術練習は素手でやります。権田はケガをした時、滑り止めのついていない普通の軍手を使って練習していました。強制していないのに、私がコーチをしている中央学院高校の選手も素手でやっています。地道な基本練習の繰り返しですね」
──権田はGKに必要な資質を持っていた?
「中学3年の夏休みにあったクラブユース選手権の準々決勝・三菱養和戦で、高いボールの処理が得意の権田が2度ミスをして、いずれも失点につながってしまった。さらにPK戦では自らが蹴って失敗。普通の中学生なら落ち込んで引きずってしまうところです。私は敗戦を覚悟しましたが、そこから相手のPKを2本セーブしてチームを勝利に導いた。あの頃からミスをしても引きずらず、取り返してやろうという強い気持ちやメンタルを持っていました。それは今でも権田の最大の武器になっています」
──かなり弁が立つ選手。それは中学生時代から?
「当時から受け答えはしっかりしていました。これは親御さんの教育だと思います。慶大バスケットボール部の監督だったお父さんは、大企業の管理職をされていたと聞いています。権田の結婚式に出席した時のスピーチも、言葉の選び方が上手で、話に引き込まれました。遺伝ですね」
──中学時代に反抗期はあった?
「連続でシュートを決められてイラ立つことはありました。僕が『こうしろ! ああしろ!』と一方的に怒ることが多かったのですが、あまり聞いてもらえず、『こうした方がいいんじゃない?』『こうしてみる?』と一歩引いてみたら聞いてもらえた。これは権田から学びました。この頃から、今の選手の気質に合わせて言い方を考えるようになりました」