沢田研二
-
10年の「人間」の物語は決して幻ではなかった
「十年ロマンス」は歌詞が冴えている。 70年代後半、沢田研二のシングルでヒットを量産した阿久悠が書いた歌詞は、ザ・タイガースの再結成ならぬ「同窓会」に対して沢田研二が抱えていた思いを十分に把握した視点から、言葉を紡いでいる感じ...
-
タイトルの「十年」に込められた万感の思い
もう少し、ザ・タイガース「同窓会」への経緯を追っておく。 10年ぶりの集結については、沢田研二自身の意向が、かなり強く反映されていたようなのだ。1985年に発売された沢田研二の自著(玉村豊男・編)「我が名は、ジュリー」(中央...
-
京都を起点に全国拡大したGSブームは、「応仁の乱」以上の騒ぎだった
「十年ロマンス」──ザ・タイガースの再結成シングルだ。ただ公式には再結成ではなく「同窓会」とされた。 ザ・タイガースとは、言うまでもなく、沢田研二が属していたバンドであり、グループサウンズ(GS)ブームの中で、トップの人気を誇...
-
ジョン・レノン(5)ジョンを意識した出で立ちで沢田研二を取材すると「どっちが芸能人?」と
ザ・ビートルズのファッションは解散(70年)後も生き続けた。影響を受けた私の服装の記憶をたどってみると、まずはパリで沢田研二との話。74年秋、私は「シャンソン音楽コンクール」関係の取材でロンドン-マドリード-パリを回っていた。そのパ...
-
歌謡曲としても立派に成立してて理想的やん!
ニューウェーブ、ロックンロール、そして歌謡曲。この3つをまんべんなく押さえ、相乗効果を持って融合し、そして、売れた。 「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」はある意味で「沢田研二の音楽1980-1985」のピークだと言えよう。 前...
-
豪華かつ変わった組み合わせの「2面 ジャンジャンロック」がなかなかいい
カップリング曲について、ジャケットには変わった書かれ方をしている──「●2面ジャンジャンロック」。普通「B面」だと思うが「2面」。 と思って、これまで取り上げたシングルのジャケットを見たら「渚のラブレター」も「おまえがパラダ...
-
クライアントの要請に柔軟に応える作詞家・三浦徳子の精神性
この曲の作詞家・三浦徳子の功績についても、触れておかなければならない。 プロデューサー・木崎賢治は、島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」(文芸春秋)でこう語っている。 ──<加瀬さんと話し合ったアルバム...
-
グルービーなバンド「エキゾティクス」を従え最大最強のピースが埋まった
ジャケットの上部には大きく「JULIE&EXOTICS」。注目すべきは、その級数(字の大きさ)だ。 シングルを売るためにはいちばん大切な曲名の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」より、さらには「沢田研二」よりもかなり大きいのだ。 ...
-
佐野元春提供「BYE BYE HANDY LOVE」での“ゲリロン!”がかっこいいのなんの
もう1回だけ、アルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」について記しておきたい。 まずタイトル。「/」で刻まれたアルファベットの文字列は、書く上で字数を食ってしょうがなかったが、ここにも創造性が横溢していると思い、尊重した。...
-
気張らず淡々と高音域の頂上に登り詰めていく ベスト曲は「渚のラブレター」アルバムバージョン
アルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」を代表する曲、いや80年代前半の沢田研二の金字塔となる1曲が、本アルバムに収録されているバージョンの「渚のラブレター」だと私は考える。 シングルバージョンは、アルバム「G.S.I L...
-
極めて特異な「せーの!」感とボーカルの艶っぽいミキシング
このアルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」の印象を一言でいえば──「バンド感」。 沢田研二が、若いバンド=エキゾティクスを引き連れて(ただベースの吉田建は沢田研二の1歳だけ下)、ロンドンまで足を運んで「せーの!」でセッシ...
-
最前線の「ネオ・ロカビリー」に「ニュー・ロマンティック」をぶっこむ凄み
この時期の沢田研二のデザインワークについて、私は批判する言葉を持っていない。アルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」のジャケットに関して、評論家っぽくない言い方を許してもらえれば──「あぁ、ほれぼれする」。 感心するのは、...
-
沢田研二の内面にあるヨーロピアンな本質が発露したメロディーの魅力
「沢田研二ってヨーロッパな人だなぁ」とつくづく感じることがある。 70年代に、ヨーロッパ各国でシングル、アルバムをリリースしたことの印象も強いのだが、それ以上に、本人の持つムードが、ヨーロピアンだと思うのだ。 このあた...
-
「全音下げ」編曲オーダーを伊藤銀次が失念…でもキーを下げないでくれて本当に良かった!
シングル「渚のラブレター」についても、レコーディングの詳細は、編曲を担当した伊藤銀次著「伊藤銀次自伝MY LIFE,POP LIFE」(シンコーミュージック・エンタテイメント)に詳しい。内容をかいつまんでまとめてみると──。 ...
-
この曲のおかげで私はギターが弾けるようになった
たまには、あの頃の自分の話でも──。1981年は中学3年生。「渚のラブレター」が発売された5月は、校内暴力に息を潜めながら「そろそろ受験勉強せんといかんなぁ」などと思っていた頃だ。 でも、勉強なんかより大事だったのはフォーク...
-
「渚のラブレター」はとにかくブルー基調のジャケットが美しい
主演として天草四郎時貞を演じた映画「魔界転生」の撮影などもあり、少しブランクがあいた。 前作「おまえがパラダイス」からほぼ4カ月が経った5月1日の発売。オリコン最高8位、売上枚数23.9万枚。前作に比べて約10万枚、セールス...
-
1981年は「音楽家・沢田研二」として創作の質を深めていった1年でもある
この年のシングルは、5月の「渚のラブレター」と9月の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の2枚。オリジナルアルバムは6月の「S/T/R/I/P/P/E/R」の1枚だけとなる。 シングル4枚、アルバム3枚をリリースした前年に比べてペース...
-
1981年とは、70年代に息を潜めていた同世代が時代を席巻し始めた年なのだ
1981年がやって来た。今から43年前は、どんな年だったのか。 この年、もっとも売れたシングルは寺尾聰「ルビーの指環」。もっとも売れたアルバムも寺尾聰「Reflections」。日本レコード大賞も寺尾聰「ルビーの指環」──。...
-
「沢田研二×(伊藤銀次+佐野元春)」という過激で無茶な掛け算が“最強値”の解答を叩き出した
このアルバムを痛快なものにしているのは、コンセプトがはっきりしているからだと思う。 まずはタイトルからして「G.S. I LOVE YOU」とはっきり。しつこいながらも補足しておけば、「GS」とは、沢田研二のいたザ・タイガー...
-
「彼女はデリケート」レコーディング…佐野元春の若き才能が沢田研二に火を点けた
A面の3曲目に収められた佐野元春の作詞・作曲「彼女はデリケート」のレコーディング時のエピソードは格別だ。伊藤銀次は自著「伊藤銀次自伝MY LIFE, POP LIFE」(シンコーミュージック・エンタテイメント)でこう語っている。 ...
-
新しい才能を世に送り出した先駆かつ最大の成功例
このアルバムで作詞を多く任されたのは、三浦徳子だ。シングルカットされた「おまえがパラダイス」を含め、12曲中7曲と半分以上が彼女の作品によるもの。 1980年の三浦徳子といえば、松田聖子「青い珊瑚礁」をヒットさせて乗りに乗っ...
-
ジャケットには英語で重要な文言 60年代のモチーフを使い新たな創造に成功している
いよいよ、アルバム「G.S.I LOVE YOU」に入る。 「いよいよ」と盛り上がっているのは、私が個人的にかなり好きな作品だから。もしかしたら、今回の「1980-85」という期間設定の中で、いちばん好きなアルバムかもしれない...
-
大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
ここでまた立ち止まり、なぜ「1980-1985」という期間設定なのかについて、説明しておきたい。 当連載で扱うのは、80年代前半の沢田研二。シングルでは1980年の「TOKIO」から85年の「灰とダイヤモンド」まで。アルバム...
-
「髪グチャグチャかきむしり」はハートビートに乗った自然なパフォーマンスだった
この曲の当時のパフォーマンスを確かめるべく、動画サイトを確認した。注目点は「髪のかきむしり方」である。これ、何か? 実は、前回説明した「ロッカバラード」のリズムに乗りながら、バックバンド=オールウェイズのギタリスト・柴山和彦...
-
「洋楽やりたいねん!」の原点とスピリット
楽曲「おまえがパラダイス」について興味深いのは、同日発売の「G.S. I LOVE YOU」という、タイトルからして「GS」に向けられたアルバムに収録されているにもかかわらず、楽曲そのものがまったくグループサウンズ(GS)的ではない...
-
この曲の物語は佐野元春から始まる…そしてスタッフの慧眼をつくづく思い知らされる
このシングルの編曲者・伊藤銀次×沢田研二の物語は、佐野元春から始まる。 佐野元春のファーストアルバム「BACK TO THE STREET」は1980年の4月21日発売。収録10曲のうち、比較的ビート系/パンク系の4曲を編曲...
-
当時の最新録音技術で60年代風ローファイ・サウンド…凝ってるし、倒錯してるわぁ
早いもので、TOKIOが空を飛び、聖子ちゃんとトシちゃんがデビュー、B&Bやツービートが早口でまくし立てた1980年も、もう年末だ。 そして、沢田研二が紅白歌合戦で「TOKIO」を歌う8日前。12月23日にアルバム「G.S....
-
「酒場」の上で回るのはミラーボールではなく、赤ちょうちんのような気が…
作詞は阿久悠さまの復活だ。沢田研二のシングルを書くのは、前年1979年5月発売の「OH!ギャル」以来。そう、糸井重里から、その啓蒙性を批判されたあの曲である。 実は阿久悠、79年から80年にかけての半年間「休筆」している。当...
-
躍動するディスコ・ビートがなかなかに聴かせる
当時の記憶を掘り起こしてみると、「TOKIO」や「恋のバッド・チューニング」に比べて、インパクトはさすがに薄かったように思う。しかし「ダバダ ディディ ダバダ ディダ」というリフレインは、ちょっと盛り上がったとも記憶するのだ。 ...
-
(47)寅さんのアットホームな雰囲気の中で、ジュリーと田中裕子は急接近した
──「男はつらいよ」にはミュージシャンが何人も出演しているが、共演者と結婚したビッグカップルが2組いる。30作「花も嵐も寅次郎」(1982年)の沢田研二と田中裕子、37作「幸福の青い鳥」(86年)の長渕剛と志穂美悦子。 ──...