柳家花緑 大いに語る
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小さんは訥々としゃべっているようで最後までちゃんと計算
先代小さんは古典落語の名人として人間国宝になったが、実は新作落語も演じていた。 「山田洋次監督の『男はつらいよ・奮闘篇』に出演したのがご縁で親しくなり、監督がつくって下さったんです。『真二つ』…
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主役となると疲れの度合いが違う。公演22日間で5回も点滴
花緑には落語家以外にも「役者」の顔がある。これまで数多くの演劇公演に出演してきた。 「好きなんですね。2009年の『江戸の青空』という芝居は落語ネタをごちゃまぜにしたものなので自然に演じられま…
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先代小さんの弟子は40人…「僕が最後の直弟子でした」
現在、花緑の弟子は見習いを入れて11人いる。 「自分がこんなに大勢の弟子を持つなんて思いもよらなかった。初めての弟子は28歳の時で、小さんに『教えることは学ぶことだ』と言われて取りました。一番…
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読み書き苦手な識字障害でも口伝で教えられたからよかった
誰もが認める売れっ子落語家の花緑だが、ずっと抱いていたコンプレックスは消えなかった。自分は勉強ができない落ちこぼれだという思い込みである。 「それが病気のせいだと気づかせてくれたのは、5年前の…
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小さん、談志と深くつながっていたのは落語家としての財産
先代小さんの衰えていく姿を近くで見られたことは、落語家としてはよかったと言う。 「師匠はよく『生涯現役』と言ってました。だから、高座に上がり続けた。時には噺が堂々巡りになったりしたこともありま…
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2人っきりの時は「九ちゃん」と。それがくすぐったくて…
師匠であり祖父でもある先代小さんは、花緑をどんな目で見ていたのだろうか。 「入門当初は師匠の目でした。楽屋で僕が他の師匠の着物を畳んでいると、小さんがじっと見てるんです。ちゃんと畳めてるかどう…
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東京シティ・バレエ団が提案 「ジゼル」を落語にしたワケ
花緑はシェークスピア作品を落語化した後、バレエ「ジゼル」を落語にした。 「『おさよ』という題にしたんです。江戸物なんですが、今風のギャグが飛び交うナンセンス落語で、おしまいのほうは、ちょっとホ…
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落語ファン「小さんの孫ともあろうものが」と批判的だった
真打ちになって数年間、さまざまなことに挑んだ。独演会では落語を演じるだけでなく、得意なピアノを弾いたり、ブレークダンスを見せたりした。若い客層は喜んだが、保守的な落語ファンは、「小さんの孫ともあろう…
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戦後最年少で真打ち昇進 志ん朝以来スピード出世だったが
二つ目の小緑は立川流の談春、志らくと親しくなったことで、落語協会内で批判にさらされたことがあったが、味方も多かった。春風亭小朝、桂三木助(先代)、林家こぶ平(現正蔵)らの人気者である。 彼ら…
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談志師匠「落語家がしゃべるならどんな格好をしても落語」
1993年5月、二つ目の花緑(当時は小緑)は春風亭昇太、立川談春、志らく、三遊亭新潟(現白鳥)、橘家文吾(現文蔵)、横目家助平(現柳家一琴)らと「落語騎兵隊」というグループを結成し、国立演芸場で旗揚…
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毒が入りました。それも談春、志らくという強烈な個性の毒
花緑の前座時代、後輩は全員が年上だった。それも大学出のひねた三遊亭白鳥とか、板前修業をしてたことがあるこわもての橘家文蔵とか、一筋縄ではいかない連中が15歳の九太郎を「兄さん」と呼ぶのだ。 「…
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名前が九だから縁起を担いで9歳から落語を覚えさせられた
花緑の母親は先代小さんの娘だ。花緑こと本名小林九は、小さんの孫であることで、落語家になる定めにあったという。 「母は2人の息子のどちらかを落語家にしたいと思っていたようです。兄の十市はバレエダ…
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古典落語だって当時は新作 そう考えると「同時代落語」は
柳家花緑は落語界を牽引する花形落語家のひとりである。祖父が先代柳家小さん、叔父が現・小さんという血筋もあり、若くして真打ちに昇進し人気が出た。しかし、サラブレッドならではの苦悩や意外なコンプレックス…