名前が九だから縁起を担いで9歳から落語を覚えさせられた
花緑の母親は先代小さんの娘だ。花緑こと本名小林九は、小さんの孫であることで、落語家になる定めにあったという。
「母は2人の息子のどちらかを落語家にしたいと思っていたようです。兄の十市はバレエダンサーになったくらいの整った顔立ちですから落語家向きじゃない。その点、僕はいかにも落語家向きの顔の子供だった。名前が九だから、縁起を担いで9歳の年から落語を覚えさせられました」
その頃、新宿末広亭で催された小さん一門会を見に行ったら、小さんの孫が高座に上がって「大工調べ」をやり始め、小さんの形そのまま演じたのに驚いた。その少年が花緑だったのだ。
「あれを見られちゃいましたか。当時、母親と僕は目白の小さん宅に同居してました。世話係が師匠の内弟子の小幸さん。現在の落語協会会長、柳亭市馬です。僕はよく忘れ物をする子だったんで、学校に届けるのも世話係の役目でした。教室に入ってくると、クラスの悪ガキたちが、『また弟子が来た!』ってちゃかす。市馬兄さんはそれがとっても嫌だったみたいです」
当欄で市馬にインタビューした際、当人からその話を聞いた。市馬が花緑を語る時の優しい表情が印象的だった。