戦後最年少で真打ち昇進 志ん朝以来スピード出世だったが
二つ目の小緑は立川流の談春、志らくと親しくなったことで、落語協会内で批判にさらされたことがあったが、味方も多かった。春風亭小朝、桂三木助(先代)、林家こぶ平(現正蔵)らの人気者である。
彼らと共にマスコミで注目されるようになり、1994年3月、真打ちに昇進する。22歳での昇進は戦後最年少、入門7年は志ん朝以来のスピード出世であった。
「僕は小さんの七光で昇進したと思ってました。周囲もそう思ってたはずです。今でもそのことをネタにします。当時の落語協会会長と太いパイプでつながっていたからで、パイプの太さは落語界一ですって」
それは今だから笑いにできるので、昇進当時の花緑はそんな余裕はないように見えた。
「自分にまったく自信のないやつだったんです。というのも、小学生の頃から勉強ができなくて、成績は美術と音楽以外は1か2でした。漢字が書けない、教科書が読めない。落ち着きがなくて、授業中におしゃべりをして、何度先生に注意されても懲りない。しょっちゅう忘れ物をする。実はすべて、ある病気の症状だったと最近わかったんですが」