毒が入りました。それも談春、志らくという強烈な個性の毒
花緑の前座時代、後輩は全員が年上だった。それも大学出のひねた三遊亭白鳥とか、板前修業をしてたことがあるこわもての橘家文蔵とか、一筋縄ではいかない連中が15歳の九太郎を「兄さん」と呼ぶのだ。
「我々の業界では後輩と飲食店に入ったら先輩がおごることになってます。僕がお勘定を払うと10歳くらい年上の後輩たちが揃って『ごちそうさまです』って頭を下げる。子供にごちそうになってるんですから、皆さんもやりづらかったと思いますよ」
そんな前座時代を2年半過ごし、1989年9月に二つ目に昇進して柳家小緑と改名する。昇進後、しばらくは小さんの持ちネタを忠実に演じていた。変化があったのは、他の団体の若手と交流するようになってからだ。
「二つ目の途中で立川流という毒が入りました。それも談春、志らくという強烈な個性の毒が」
きっかけは談春から二人会をやろうと持ち掛けられたことだ。断る理由がないので、四谷のそば屋の2階にあった貸席で「談春・小緑二人会」を開いた。