小さん、談志と深くつながっていたのは落語家としての財産
先代小さんの衰えていく姿を近くで見られたことは、落語家としてはよかったと言う。
「師匠はよく『生涯現役』と言ってました。だから、高座に上がり続けた。時には噺が堂々巡りになったりしたこともありました。でも、そういう老いる姿をお客さまにさらし、僕らにも見せて、生涯現役を通した。最後まで手本になってくれたのだと思います」
花緑にとって手本になる落語家がもう1人いた。
「はい、談志師匠です。喉頭がんになって、満足に声が出ない状態でも高座に上がり続けた。ご当人は『ドキュメントだ』と言ってましたが、小さんと同じように生涯現役を通した師匠です」
談志と最後に会ったのは、亡くなる前年の12月5日、博多だったとか。
「談志門下の生志さんが地元の博多で親子会を開きました。ちょうどその日、僕が博多で独演会をやってて、終演時間が親子会の開演時間だったんです。いつもは終演後にサイン会をやるんですが、お客さまに『談志師匠が博多に来ててそっちへ行きますので、今日はサイン会ができません』とお断りして、会場の博多座に駆け付けました」