ロフト創業者が見たライブハウス50年
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サザン脱退の真相に迫るもター坊は「墓場まで持っていく」
サザンオールスターズのギタリスト・大森隆志さん(ター坊)が2001年に脱退した後、自ら結成したバンド「The Rambling Brothers」に声を掛け、ロフト系列の<下北沢シェルター>に出演し…
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サザン桑田の才能を見抜けなかったことに一生悔いが残る
あのサザンオールスターズのメンバーが下北沢ロフトのアルバイトとして働き、単なる店員バンドのひとつとしてシモキタ・ロフトをたまり場にしながら活動していたなんて、今となっては誰も信用しないだろう。 …
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時給は350円…下北沢LOFT店員時代のサザンは不人気だった
世界中が新型コロナウイルスに手を焼き、日本も<第2波>とも言える多くの感染者を出す不安定なさなか、日刊ゲンダイの担当者から「ロフトで育ったミュージシャンについて書いてほしい。まずは下北沢ロフト時代の…
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下北沢LOFTではサザンのメンバーがアルバイトで働いていた
フォークの西荻窪ロフト(キャパ60人)、ロックの荻窪ロフト(キャパ100人)と2軒のライブ空間だけでは、何となく不満な気持ちがぬぐい切れなかった。勃興してきたロックの波に驚嘆しつつ、背中をグイッと押…
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優しい山下達郎さんはメンバーの生活苦を気に病んでいた
1960年代後半から70年代初頭にかけてJR中央線の沿線が音楽、演劇、映画などの情報発信基地となった。 70年、吉祥寺に「武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂」が生まれ、そこに多くのアーティストが集まり…
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あまりの音量に隣の魚屋が出刃包丁片手に怒鳴り込んできた
京王線・千歳烏山で始まったロフトは1973年、JR中央線の西荻窪駅近くに15坪のライブ空間をオープンさせた。当時は“三寺文化”(高円寺、吉祥寺、国分寺)と呼ばれるカルチャーがあって音楽、芝居、映画な…
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常連の坂本龍一さんは音大女子学生のリポート代筆で大人気
1971年に東京・京王線の千歳烏山駅近くに50~60枚ほどのレコードを頼りに7坪の小さなジャズスナックを開いた。 ジャズの名前につられて多くの若者がやって来た。店に4チャンネルのスピーカーを…
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渋谷ロフトヘブンでコロナ感染者が…潰れることも覚悟した
ロフトから感染者を出す前、東京では池袋などのエリアにあるライブハウスから感染者が出たらしい――という噂は聞いていた。 渋谷のロフトヘブンで感染者が出てしまった後、ロフトプロジェクトの加藤梅造…
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「3密最前線」としてヤリ玉に…ついに渋谷で感染者が出た
1971年春。世田谷区千歳烏山に「ロフト」が誕生した。それから西荻、荻窪、下北沢、新宿……と創業者・平野悠はライブハウスを増やしていき、日本のロック黎明期から今にいたるまでライブ空間を提供してきた。…