あまりの音量に隣の魚屋が出刃包丁片手に怒鳴り込んできた
京王線・千歳烏山で始まったロフトは1973年、JR中央線の西荻窪駅近くに15坪のライブ空間をオープンさせた。当時は“三寺文化”(高円寺、吉祥寺、国分寺)と呼ばれるカルチャーがあって音楽、芝居、映画などの情報発信基地でもあった。高円寺と吉祥寺の間で<西荻窪ロフト>を始めたわけだが、ロクな防音設備もなく、ライブ空間とは何か? よく分かっていなかった。
頭脳警察や裸のラリーズ、はちみつぱいの鈴木慶一、山下洋輔トリオらがオープニングライブに登場した。近隣の苦情は凄く、その後はフォーク中心のスケジュールを組むしかなかった。
山下洋輔さんはピアノをヒジで叩くように弾いていた。ペダルを折ったこともある。ある日のライブでは、あまりの音量に隣の魚屋のオヤジが出刃包丁を片手に「うるせぇ~!」と怒鳴り込んできたこともあった。
吉祥寺郊外に巣くっていた南正人、高田渡、友部正人、三上寛、遠藤賢司、シバらフォーク村の住人たちは食えない時代を過ごしていたから、演奏の場が生まれたことをもの凄く喜んでくれた。
かの吟遊詩人・高田渡さんは酒豪で知られ、ライブ中も酒を飲まないと歌えない。満員のステージでギターを持ったままで寝てしまい、ピクリとも動かない。それでもじっと待つ観客。音響係だった私がステージに行って「おい、渡……」と肩を叩いたら嘔吐物を辺り一面に吐き、ど~んと前のめりに倒れたことがあった。南正人さんは歌い出したら止まらない。1曲に1時間もかけて演奏することもあった。