時給は350円…下北沢LOFT店員時代のサザンは不人気だった
世界中が新型コロナウイルスに手を焼き、日本も<第2波>とも言える多くの感染者を出す不安定なさなか、日刊ゲンダイの担当者から「ロフトで育ったミュージシャンについて書いてほしい。まずは下北沢ロフト時代のサザンオールスターズをお願いしたい」というオーダーがあった。
さっそく取材に取り組む羽目になった。というのも「シモキタ・ロフトの店員バンド」だったという以外、サザンをよく知らないからである。
かれこれ45年ほど前の話にさかのぼる。荻窪ロフトが誕生した翌1975年に<下北沢ロフト>をオープンさせた。
その1年後、サザンのメンバーでギターのター坊(大森隆志さん=2001年脱退)、パーカッションの毛ガニ(野沢秀行さん)が正規アルバイトとして働くようになった。桑田佳祐さんをはじめ他メンバーも店が混むとビールやコーヒーを運んだり、手伝ってくれていたのは知っていた。
時給は……350円だったかな(笑い)。
下北ロフトが、サザンのメンバーのたまり場というか、活動拠点となった76年、オールスタンディングで300人収容の大型ライブハウス<新宿ロフト>をオープンさせた。西荻窪、荻窪、下北沢、そして新宿。4軒ものロフトのオーナーとなり、鼻息を荒くしながらイヤらしくもエラソーにしていたに違いない。