「3密最前線」としてヤリ玉に…ついに渋谷で感染者が出た
1971年春。世田谷区千歳烏山に「ロフト」が誕生した。それから西荻、荻窪、下北沢、新宿……と創業者・平野悠はライブハウスを増やしていき、日本のロック黎明期から今にいたるまでライブ空間を提供してきた。新型コロナ禍でライブハウス業界が逆風にさらされる最中、ロフト創業者が目の当たりにした大物ミュージシャンの実像、日本の音楽シーンの変遷を語り尽くす――。
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「なにっ! ロフトグループから感染者が出た!?参った……」
そう言ったっきり絶句してしまった。4月1日の深夜。ロフトプロジェクトの加藤梅造社長からの電話に飛び起きた。
3月に入って大阪のライブハウスでクラスターが発生、全国のライブハウスは“緩やかに”自粛をしていた。「コロナが何だ! そんなことでロックは負けない!」と言い張るミュージシャンもいたが、ライブハウスが悪者扱いになっていたこともあり、感染者が出ることにビビっていた。
家に引きこもり、ヒヤヒヤしながら会社の成り行きを見守った。