殺人事件を追ううちに都市計画の闇に…
「マザーレス・ブルックリン」
原作小説の映画化で原作も映画もいいという例は少ない。でもまれにある成功例。先週から都内公開中の「マザーレス・ブルックリン」がそれだ。
同名原作は99年。舞台も同時代で、分裂症めいた現代ニューヨークの姿をあぶり出し、米英の推理作家協会から賞を授与された。他方、映画は原作の舞台を変えて50年代に直し、原作の現代性は薄まったが、代わりにそれらしいノワール映画の趣を得た。
監督・脚本・製作から主演まで1人4役のエドワード・ノートンはどちらかといえば頼りない外見で、いわゆる兵六玉のタイプである。なので事前に話を聞いたときは「ノワール探偵をノートンが?」と半信半疑だったが、なかなかどうして、格差社会の下層でもがく“路上の騎士”という正統派ハードボイルドらしい主人公となった。実際、物語も殺人事件を追ううちに都市計画の背後に横たわる巨悪が姿を現すというノワールものの定石。
物語ではこの巨悪がモーゼス・ランドルフという権力者の設定。テレビでトランプ大統領のパロディーも演じるアレック・ボールドウィンが憎々しげに扮するせいか、一部の映画サイトでは「トランプそっくり」なんてトンマな解説があった。だが、この巨悪は明らかに50年代のニューヨーク都市開発を牛耳ったロバート・モーゼスがモデル。
A・フリント著「ジェイコブズ対モーゼス」(渡邉泰彦訳 鹿島出版会 3000円+税)はそれこそ徒手空拳で彼に立ち向かったニューヨークの女性ジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブズの奮闘を描いたノンフィクションである。昔ながらの人情味ある下町を破壊するモーゼスの再開発計画に異議をとなえ、正面突破で住民運動を率いた果敢な実話。たぶんノートンは、ノワール映画の形を借りて、ジェイコブズと主人公を重ねて自分で演じたかったのじゃないだろうか。 <生井英考>