「サバイバルする皮膚」傳田光洋氏
人間の皮膚には触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚がある。そして脳と同じような、情報処理の仕組みもある。さらに皮膚感覚は直感や無意識に通じており、人は、“見たこと”よりも“触ったこと”に確かさを感じる――。
本書は30年にわたって皮膚研究を続けてきた著者が、生物の進化を皮膚目線でたどりながら、人間の驚くべき皮膚の働きを解き明かしていく一冊だ。
「30年ほど前に、私の人生を変える論文が出ました。そこに書いてあったのは、水分を通さないための表皮のバリアー機能をセロテープなどで剥がすとバリアーが壊れますが、しばらくして回復するんです。ところが、バリアーを壊した後、表皮をプラスチック膜のような偽物のバリアーで覆うと、回復プロセスが止まってしまう。つまり、偽物の表皮にだまされるわけです。これを読んでびっくりしました。表皮は脳に頼らず、自分の状態をモニターしながらバリアー機能を調節しているんです。表皮には知性があるのかと感動しましたね」
著者は研究を重ね、皮膚の表皮には、脳にあるような受容体や感覚器があることを突き止めていく。しかし、進化の過程を考えれば順番は逆なのだ。脳にあるものが皮膚にもあるのではなく、皮膚にあるものが脳になった。
本書では、すべての生物は皮膚から始まったことを示すべく、7億年前の生物の起源へと遡っていく。
「脳のない動物はたくさんいます。クラゲもイソギンチャクもそうですよね。一方で、皮膚のない動物はいません。生命が出現したとき、最初の組織は皮膚でした。人間も皮膚から脊椎ができ、脳や末梢神経へと進化していったのです」
つまりすべての動物が皮膚を持つ。その中で人間の皮膚が特異なのは、体毛がないことだ。猿もチンパンジーも体毛で覆われているが人間にはない。この「裸の皮膚」が、人間を人間たらしめることになった。
「約120万年前、人間は体毛を失い、皮膚を通して外界からさまざまな情報や刺激を得るようになると、それらを処理するために脳が大きくなっていきました。『皮膚』と『脳』という2つの情報処理装置を持つことによって、人間は他の動物にはできない創造が可能になったと考えられます。一方、人間と正反対の戦略をとったのが昆虫です。全身を殻で覆い皮膚感覚を捨て、脳を軽量化することで繁栄しました。生存のストラテジー(戦略)というのは何事においても2つの方向性があるものです」
人間の皮膚で何が起きているか、加齢が皮膚に及ぼす影響、ストレスと皮膚の関係、免疫システムにおいても皮膚が重要な役割を担っていることなどがスリリングにつづられている。なかでも「文明病」ともいえるアレルギーや、免疫が暴走した結果として起こる自己免疫疾患については興味深い。男性に多い「痛風」も自己免疫疾患の一つだ。
最終章で著者は、皮膚への刺激は人間の直感や無意識に作用することを明らかにする。
「脳が言語情報を扱うのに対して、皮膚感覚や触覚は言語で語りえない感覚です。たとえば『肌が合う』という言葉は英語にもありますが、この感覚は言語化できませんよね。AIの進化などで脳が注目を浴びがちですが、世界に開かれ、環境と多くの情報をやりとりしている皮膚の重要性を知ってほしいと思います。コロナ禍でオンラインが広がりましたが、視覚と聴覚に頼るオンラインで、皮膚と外界のやりとりは発生しません。オンラインで満たされないものは何か、その重要性を再認識するきっかけになると期待しています」 (河出書房新社 946円)
▽でんだ・みつひろ 1960年、神戸市生まれ。皮膚科学研究者。京都大学工学博士。カリフォルニア大学サンフランシスコ校皮膚科学研究員、JST CREST研究者、広島大学客員教授などを経て明治大学MIMS客員研究員。著書に「驚きの皮膚」「皮膚感覚と人間のこころ」など多数。