「博覧男爵」志川節子氏

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 これまで江戸の市井の人々を登場人物に、心温まる人情物語を紡いできた著者が、初めて実在の人物をモデルにした小説を上梓した。

 彼の名は田中芳男。

「日本の博物館の父」と呼ばれ、今も上野に立つ博物館創設に尽力した男の半生を描く。

「以前、ロンドンに住んでいたことがありまして、当時、市内にあるV&A博物館によく通っていたんですね。ロンドン万博に出品された展示物を見ているうちに、江戸時代に海外に来てビックリした日本人がいたに違いない、それも博物館に携わった人はいないだろうか……と探したのが、この小説を書くきっかけになりました。で、パリ万博の派遣団の中に田中芳男の名前が出てきたんです」

 物語は天保15(1844)年、長野県飯田城下で幕を開ける。

 父親が医師の次男として生まれた芳男は、子供の頃から好奇心が旺盛で、特に石や虫、薬草など“自然”に興味を示した。やがて青年へと成長した芳男は攘夷思想の嵐が吹き始めるなか江戸に出て、幕府が開設した蕃書調所物産学で、舶来植物の調査、栽培などを精力的に行うようになる。

 そんなある日、芳男にパリ万国博覧会への随行話が持ち上がる――。

「芳男はウィーンなど生涯に3回、万博に行ってますが、最初に行った1867年のパリ万博が大きな転換点となりました。パリの文化に圧倒され、万博でも、大砲や4、5階まで行ける水力エレベーターに驚き、同時に知識の差、国力の差に危機感も持ったと思います。パリまでの船旅では、香港、シンガポールなど植民地になった港をたどっていますから、植民地にする力がある国とは……と肌で感じたことでしょうね」

 パリで芳男は自分の道を定めることになる施設と出合う。「ジャルダン・デ・プラント」だ。自然史博物館と、その周りに植物園と動物園とが配された施設――。日本に「博物館」の概念すらなかった時代、芳男はそれらがセットで「博物館」だと解釈。そして日本にも「ジャルダン・デ・プラント」をつくりたいとの思いを強くする。

「ミュージアムを博物館と訳したのは福沢諭吉ですが、博物館を形にしたのは芳男、そして思いを同じくする薩摩出身の町田久成の2人なんです。芳男が博物館創設を熱望したのは、まずは憧れですね。自分が研究してきた本草学(植物)などがコレクションされていて、オタク魂が燃えた(笑い)。もうひとつは、博物館が人々の知見を広め、世の中に益をもたらすと信じたから。たとえ文字が読めなくても現物を見れば理解でき、自分たちの過去の歩み、またそこから発明や発展につなげていける。それには博物館がうってつけだと考えたんですね」

 帰国後、芳男はパリ万博で知り合った町田とともに、日本初の博物館創設に向けて動きだす。しかし、新政府は文化事業には理解を示さず、協力してくれるのは、大久保利通ら僅か数人。その大久保も暗殺されるなど、いくつもの壁が立ち塞がる。

「一番の壁は、芳男が描く博物館と、町田らとのそれが異なったことですね。関係者の中では芳男が一番の下っ端。でも芳男は工部省から来た提案書を町田にまわす際、あることをしたんですね。資料を見比べてこれに気づいたとき、芳男、頑張ったんだなと(笑い)」

 本書では、勝海舟やシーボルトらお馴染みの人物が脇役で登場。果たして芳男はどのようにして「理想」を実現化したのか。文化か経済かをめぐる攻防と人間模様は、激動の幕末の世を舞台とした小説ならではの面白さだろう。

 現在、上野に国立博物館と動物園があるのは芳男のこだわりと執念のたまもの、と著者。

「政治も価値観も一変した幕末~明治の中で、より良い明日につなげるにはどうしたらいいか、と考えながら芳男は進んでいきました。武力ではなく、知の力でつなげようとしたところに彼の進化があったと思います。新しい価値観へと塗り替わりつつある現代を生きる人々に、そんな芳男の姿は響くんじゃないかなと思います」 (祥伝社 1980円)

▽しがわ・せつこ 1971年、島根県生まれ。早稲田大学卒。2003年「七転び」で第83回オール讀物新人賞を受賞。著書に「手のひら、ひらひら 江戸吉原七色彩」、第148回直木賞候補になった「春はそこまで 風待ち小路の人々」ほか多数。

【連載】著者インタビュー

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