「言葉以前の哲学」今福龍太著
「言葉以前の哲学」今福龍太著
老眼鏡をどこかに置き忘れてしきりに捜すが見つからない。と思ったら机の上にちゃんとあった、なんてことはしばしばある。
しかし、ほかの物は置き忘れないのに、なぜ眼鏡だけ置き忘れるのか。机や電気スタンドを置き忘れることはない。一方、目や鼻も置き忘れることはない。眼鏡を置き忘れるのは眼鏡がこの両極の中間、つまり目の一種の肉体的延長なのでつい目のように扱ってしまうからだ……そう考察するのは、本書で語られる戸井田道三。戸井田は能・狂言の研究、批評をはじめ民俗学や民衆文化への独自のアプローチをしたユニークな思想家だ。
本書は、10代の頃から戸井田と親交を結び、戸井田の著作集を編集した著者による評伝だ。著者は、いくつかのキーワードによって、戸井田の思想を浮き彫りにしていく。
例えば「非土着のネイティヴ」。幼い頃から病弱だった戸井田は転地療養のため転居に次ぐ転居を余儀なくされたが、25歳から亡くなる78歳までは湘南辻堂に暮らし、土着の人間ではないが、ひとつの土地に深い居住意識を持っていた。自らを「外来居住者」と位置づけ、「(土着の)生活者の日常意識と変化への思いを、共感と共苦とともに彼らの傍らで生きようとした」。そうすることで既存の歴史とは別の「歴史」を描こうとしたのだ。
さらに重要なのは「言葉以前へのまなざし」。戸井田は、言語以前の原初の「身ぶり」に注目し、個別言語に特化する以前の人間共通の「理解の体系」へ思いを巡らせる。そうした志向は、自らの虚弱なからだへの凝視を続け、行為が生理にどう作用して反応するかをつぶさに観察・思考してきたことによる。
ともすれば、身体と思考・言語の乖離が強まっていく現在、〈身体の深層〉からのめざめの声につねに耳を傾け続けた戸井田道三の思想を改めて読み解いていくことが極めて肝要である、と本書は教えてくれる。 <狸>
(新泉社 2530円)