肝臓がんに蝕まれ37歳の若さで逝った市川雷蔵
年末までにすべての撮影を終えたが、雷蔵の体に再び病魔が迫っていた。69年1月3日、雅子夫人から永田副社長に「夫の具合が相当悪そうだ」と電話があった。雅子夫人は大映のワンマン社長・永田雅一の養女であり、同長男の永田副社長は兄にあたる。
永田副社長は雷蔵の自宅に駆けつけた。目の前の雷蔵からはすっかり生気が失われていた。顔はやつれ果て、腰は「く」の字に曲がり、真っすぐ立てなかった。永田副社長は雷蔵の当面の仕事をキャンセルすることにした。
1月中旬、永田副社長と雅子夫人の母親が呼ばれ、診断した医師から肝臓がんであることが告げられた。この時は前回と違って、雅子夫人には本当の病状は明かされなかった。動揺が雷蔵本人に伝わり、深刻な症状だと気づかれるのを恐れたのだ。雅子夫人が肝臓にがんが転移したと知ったのは、雷蔵が亡くなる1週間前だった。
2月10日、当時、新宿にあった朝日生命成人病研究所で手術が行われたが、ほとんど有効な治療ができなかった。すでに肝臓の80%が機能を失っていた。執刀医は永田副社長に「3月いっぱい、もつかどうか」と告げた。